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  • 才葉抄について解説【全文現代語訳】

    才葉抄について解説【全文現代語訳】

    才葉抄とは

    才葉抄さいようしょうとは、平安時代末期に著された書論しょろん書です。

    世尊寺せそんじ家7代目の伊経これつねに、藤原教長ふじわらののりながが書道の奥義を口伝した内容が書かれています。

    書道の秘伝を語った藤原教長について

    藤原教長ふじわらののりながは、難波権大納言忠教卿の6男として1108年(天仁元年)に生まれ、1180年(治承4年)に没したといわれます。

    平安時代末期の能書家で、世尊寺流の書を学んだとされています。その書の技能、見識は一流のものです。
    歌の道にも優れ、崇徳院すうとくいん藤原頼長ふじわらのよりながに特に重んじられました。

    その教長が、1177年(安元3年)69歳のとき、高野山こうやさん庵室あんしつにおいて書の道についてさまざまな抱負や見識を語った記録が、「才葉抄」です。

    才葉抄が著された経緯

    崇徳すとく上皇と後白河ごしらかわ上皇の対立によって、1156年(保元元年)保元の乱が起こりました。
    後白河側には摂関家の藤原忠通ふじわらのただみち、崇徳側には異母弟の頼長よりなががつきます。
    乱はあっけなく終了し、後白河側の勝利に終わります。

    頼長側についた藤原教長のりながは常陸に流罪、その後剃髪ていはつして、高野山こうやさん隠棲いんせいします。

    教長は当時台頭してきた法性寺流にも注目しながら、世尊寺流の書法を熱心に体得していました。

    そこで世尊寺家第7代目伊行はわざわざ高野山に赴いて世尊時流の書の奥義を求めに行きます。

    この聞き書きをまとめたのが『才葉抄』です。

    才葉抄の現代語訳

    (才葉抄…一名筆躰抄)
    才葉抄さいようしょう…またの名を筆躰抄ひったいしょうという

    (宰相の入道教長口伝)
    宰相さいしょうであった入道にゅうどう藤原教長ふじわらののりながの語り伝えたものである

    (安元三年七月二日。高野山庵室に於て密談す。いみなは観蓮。難波権大納言忠教卿の第六男。参議正三位。)
    安元あんげん3年(1177年)7月2日。高野山こうやさん庵室あんしつで密談した際の記録である。教長の法名は観蓮かんれんといい、難波権大納言なにはごんのだいなごんn忠教卿ただのりきょうの第6男で、参議正三位さんぎしょうさんみの官位を得ていた。

    (一、筆はいまだ墨を染めざる新筆にて文字を書くは、帯とけひろげてあしきなり。墨をぬりて乾かして、少し墨枕ぼくちんあるがよきなり。)
    まだ墨をつけて使ったこのない新しい筆で文字を書くと、筆はおびがほどけて、着衣がだらしなく広がったような状態になってまとまらず、書きにくい。筆は墨を筆全体につけてから洗い乾かして、少し筆毛の根元が固くなってしっかりした状態になってからが書きよいのである。

    (一、法性寺殿の御筆は、書く人の右へ平みたるなり。)
    法性寺殿ほっしょうじどの藤原忠通ふじわらのただみち)の御筆おんふでづかいは、書く人の右の方へと筆が倒れた状態(側筆そくひつ)で書かれている。

    (一、文字は、一字を取りはなしても、おのおのの文字なる体にうつくしく見ゆるやうに書くべきなり。すなはち、重なる文字は、高かるべきなり。並ぶ文字は、横へひろがるべきなり。)
    文字は1字だけ取り離しても、その一字一字が、姿が整って美しく見えるように書かねばならない。つまり、上下に重なる文字は縦長にした形になるのがよいし、へんつくりからなる文字は、横に広い姿にすべきなのである。

    (一、墨を筆にだぶだぶと染めて書くべきなり。)
    墨を筆になみなみとたっぷりつけて書くのがよいのである。

    (一、行の物の中に、真文字も相加ふるべきなり。道風は、さやうにかきたつを愛敬といふ。)
    行書の中に真文字しんもじすなわち楷書も少し加えるとよい。小野道風おののとうふうは、そのように書いたものを愛敬あいぎょうがあると言っている。

    (一、文字不具なる事あるべからず。偏小へんしょうにして旁大つくりだいに、外囲大がいいだいにして、内をば小さくかくことなり。あしきなり。道風。佐理。行成の手跡。不具なる字画なきなり。)
    文字は調和を崩す不備な点があってはならない。例えば偏が小さいのに旁がやたら大きくなったり、かまえを大きくして、内の部分を小さく書いたりすることである。アンバランスでみにくい。道風とうふう佐理すけまさ行成ゆきなりの書ではそのような不具なる字画はない。

    (一、長く引く点はす。またうるわしきは弱きなり。少しゆるめて引くなり。)
    長く引く点は側(偏鋒)を用いて斜めに書くが、平順にすぎると弱くなる。少し筆の運びをゆるがせながら引くとよい。

    (一、頭の字は、皆ひらみたるなり。それがよきなり。)
    行頭に置く字は、少し偏平になるのがよい。

    (一、文字は、うるはしく書くが見通しあるなり。点をかたよせなどしたるは、一旦の愛にて、始終は見弱りするなり。)
    文字は端正に書くのが、見た目がよい。点を一方に寄せて打ったりしたものは、一時の愛敬はみられるが、いつものことでは見た目にも魅力に欠けてしまうものだ。

    (一、未練みれんの間は、文字を高く書くべきなり。究竟くきょうになる時は、少し平らになる事なり。されば道風などの書きたる物は、若き手のときは、文字高きなり。老後に至りては、平みて見ゆるなり。)
    まだ書が上手でない間は文字の姿を丈高く書くべきである。上手になった時は、少し偏平になるものである。だから、小野道風おののとうふうなどの書いた物は、若いころは文字は丈高くなっているが、歳をとってからは平たく見えるのである。

    (一、申状もうしじょう諷誦ふうじゅ願文がんもんしんに書くべきなり。廻文かいぶんは、行に書くべきなり。)
    申文、諷誦文、願文は、楷書体で書くべきである。文は、行書体で書くべきである。

    (一、法性寺殿の手跡しゅせきは、若年の時摂政などの時はよきなり。後に筆平みて、打ち付け打ち付け書きたまふによりて、習ふ人の手跡損ずべきなり。いづれもこの心を得べきなり。)
    法性寺殿ほっしょうじどの藤原忠通ふじわらのただみち)の書きぶりは、若い時や摂政せっしょうであったころはうまいものである。しかし、年老いてからは筆がかしいで、ペタペタと筆が紙にあたるように何度も墨つぎをしてお書きになられるので、習う人の書きぶりを害することであろう。いずれにしてもこのことは心にかけて注意すべきである。

    (一、点の終りの筆をば必ず返すべきなり。「ゝ」これがよきなり。)
    点の終筆は必ず引き返すべきである。「ゝ」の用筆が大切である。

    (一、真の筆は立つべきなり。行の筆は平むべきなり。)
    楷書を書くときは筆を立てるべきである。行書のときは傾けて書くのがよい。

    (一、筆を打ち立てて後は、行くにまかせて書くべきなり。筆をすまひて書きつれば、筆こはくみえてわろし。ゆるゆるさしのべたる筆にて、みたみたとなさず書きたる物は、見立てあるなり。強さ筆にて書きたるは、見立てなきなり。)
    筆の鋒尖をくじいて筆落として後は、筆の動きに自然にまかせて書くのがよい。それに逆らって書くと筆致がごつごつみえてよくない。柔らかい毛の長鋒で墨をたっぷりとべたつかせず書いたものは見栄えがするものだ。剛毛の筆で書いたものは見栄えがしないものである。

    (一、手書きは、つねに物を書くべきなり。しからずんば筆あしし。)
    文字を巧みに書く者(能書家のうしょか)は、ふだん筆をもって何かを書いていなくてはならない。そうしないと書きぶりが悪くなってしまうものである。

    (一、朝隆は能書なり。されども幼き物を書きいだすなり。)
    藤原朝隆ふじわらのともたかは筆のたつ人である。しかしながら、未熟なものを書き表すことがある。

    (一、眞行草ともに前の点の先をうちて、後の点のはじめをば返すべきなり。)
    楷書・行書・草書ともに前の点画の穂先をはずみをつけて突き、後の点画のはじめを穂先をくじいて書くのがよいのである。

    (一、文字は分けて一字もしんに書き、合字あわせじにても見よかるべき様に書く事は、大旨だいじの事なり。字によりてゆがめてへんを書きてき字もあるなり。よくよく心得こころうべきなり。
    文字は連綿のなかで一字を楷書に書いたり、合字で書いたりしても見やすいように書くことが大切なのである。また字によっては、斜めに偏を書いて姿の整う字もあるものだ。十分心得ておかなければならない。

    (一、前点は後点を兼ねる約束なれば、真行草ともに前点の筆先を受けて、後点の初めを書くべきなり。)
    筆脈を保つのが書法の基本であるので、真行草ともに前の点画の筆先の流れを受けて、後の点画の初めを書くべきなのである。

    (一、文字をば、みるみると書くべきなり。ハッキたるは、見あしきなり。)
    文字は、みずみずしくつやをもって書くべきである。きっぱりとしてつやに欠けるものは、見ためがよくないものである。

    (一、行成の手跡は、筆に任せて書かれたるとみえたり。また法性寺殿の筆はしからず。よっておとらせ給ふなり。
    藤原行成の書は、自然のままに筆が動いて書いていると思える。また、それに対して法性寺殿の書の筆づかいはそうではない。その点で劣っておられるのである。

    (一、草は、游たる筆を以て、やはらかなる筆にて書きたる字のやうに書くべきなり。)
    草書は、蜘蛛の糸のごとく、空中にあらぐような筆致で、柔らかい毛の長い筆で書いた字のように書くべきである。

    (一、先ず物を書くには、静かなる所にて、心をしづめて書くべきなり。物をいそがしく書くことなかれ。いそがしく書きたるは、いたらぬ故という人あるべし。これは故実をしらぬ人なり。何事も思はですると、麁相にするとは替ることなり。ことさら手は、硯筆紙墨四つ物相叶ひて成るべきなり。このことは今の案にあらず。本文にあり。第一率爾の時は誤事多し。また文字落とすこと一定あることなり。)
    まず物を書くには、静かな所で、気持ちを落ち着かせて書くべきある。心いそがしく物を書くことがあってはいけない。せかせかとせわしなく書いたのは、書の技能が未熟のためだどういう人がいる。これは故実を知らない人である。何事も、意図せずに行うのと、粗末に行うのとでは、違いがあるのである。特に書は、硯・筆・紙・墨の4つがお互いに結びついてできあがるものである。このことは今の時代の考えではない。昔からの本文にある。第一、軽率に行うときは間違いが多い。また文字を落とすことが必ずあるものなのである。

    (一、手跡と形とは一つなり。また人の心も見ゆるべきなり。されば異様に書くべからず。皆本文にあり。)
    筆跡と字形とはおおきなつながりをもっている。またそこに書く人の心もみることができる。だから、異なった俗体に書いてはいけない。このことについては皆、本文にある。

    (一、我が好むやうならずとて、さうなく人の手を謗ることがあるべからず。手にむじんの様あり。また人の心万差なり。ただ筆づかひ、筆の品の善悪をわきまふべきなり。いかにも手書きの書きたる物を早く書くよしをして、筆をはやくつかふ こと、かへりておぞき様なり。相構へて筆を立つる所、折る所、引きはつる所に心をかくべきなり。とかく、能書には目を付けて見るべきなり。)
    自分が好まないからといって、無造作に他の人の書をけなすことがあってはいけない。技法にはさまざまな趣があるし、また人の心もいろいろ違いがある。ただ、筆づかいをみたり、書の品格のよしあしを弁別できるようにすべきである。書けもしないのに、いかにも達筆家がかいたもののように早く書く格好をして、筆をはやく使うことは、かえって品がなくおろかである。しっかりと、筆を立てる所、折る所、引き切る所に心をかけるべきである。いずれにせよ、能書作品は注意して観察することである。

    (一、物忩ぶっそうなればとて、散々に書くことあるべからず。真行草、ともにいづれもねばく書くべし。未練の手跡は、物を早く書きなして僻事ひがごとあるものなり。いかに疎草そそうに書くものなりとも、筆の捨て所に心をくべきなり。)
    あわただしく落ち着かないからといって字をまとなりなくいい加減に書くことがあってはいけない。楷行草、いずれも粘っこく書きなさい。未熟な人の筆跡は速書きして書き違えがあるものである。いかに軽率に書く字であっても、筆の捨て所、終筆部分に注意すべきである。

    (一、未練の時、左右なく物を書くと披露すべからず。よくよく習練して手の品を書き出してのち、手本をも書き、また人にも見ずべきなり。その人は能書なるなれども、少々しられて後は、少しわろきことありとも思免せらるるなり。物わるく見られ沙汰せられぬれば、後に能書となる時も、人の許すこと難きなり。手書きは分限を見るべし。世間に手書き少なし。非なる手書き多き故に、手書きに非ざるはわろしとののしるを、いつも定めて信ずるなり。されば、昔の手書きは、手習ひしたる反古をも焼き捨てけるなり。ただし、手の故実をも習ひ談義せん人には、はづべからず。相互ひに談ずべきなり。)
    書の技能が未熟な時、無造作に字を書いて人に見せるべきではない。充分に習練をかさねて、書にその人柄や品格を書き表せるようになってから、手本なども書き、また人にも見せるのがよい。その人が能書家であって、少々世間に知られてからは、多少失敗作があっても許されるものである。逆に書く物が悪く見られ評判になってしまうと、あとで能書家となっても、人々が認めてくれることは難しいものである。だから書をする者は身のほどを知らねばならない。世間に本当の能書家は少ない。間違った考えの能書家が多いために、能書家でない人の書はよくないと、悪口をいうのを世間ではいつもきまって信じている。だから、昔の能書家は練習して使い古した紙さえも焼き捨てたという。ただし、昔の故実をも学び、意見してくれる人には恥ずかしがるな。お互いに話し合うべきである。

    (一、額。色紙型。申文。願文。諷誦。叡山四番帳。戒牒。一品経等書くべき次第は、広く夜鶴庭訓といふ書にみえたり。これ先達の仕おきたることなれば、信ずべきなり。)
    がく色紙型しきしがた申文もうしぶみ願文がんもん諷誦ふうじゅ叡山四番帳えいざんしばんちょう戒牒かいちょう一品経いっぽんきょう等の書き方は、広く夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうという書物に書いてある。これは先輩の方々が書き残したことなので、信じられることであろう。

    (一、真の物は、第一の大事なり。唐人は、先ずこれを習ふなり。我が朝にもしかるか。近代は、皆行の者を先に習へり。されば真に達したる人稀なり。少々文字不具なれども、能書の様とて書き様あり。また、たださわさわとゆがめます、文字の座もはたらかず書きたる一の品なり。宋朝の欧陽が真がかくのごときなり。これは少し愛を取るなり。心より愛敬のある難なり。すべて上古の能書も、皆満足することは難なり。されば、法性寺殿は、むかしの手書きには、道風、佐理、行成、この三人を能書を宣へり。この三人に三徳三失あるなり。道風は強く書きて少し俗風なり。強さは徳、俗道は失なり。佐理は、やさしくてよわし。やさしきは徳、よわきは失なり。行成は打ち付けに愛敬ありて、手の少し正念なきなり。愛は徳、正念なきは失なり。故に太平御覧には、骨多く骨少なきは墨猪、力多くして筋ゆたかなるは聖なり。力なく筋なきは病なりと云々。)
    楷書は、最も大切なものである。中国の人は、まず楷書を学ぶのである。我が国においてもそうであろうか。いやそうではあるまい。現在は皆行書を先に習っている。だから、楷書に深く通じた人は極めて少ない。少しぐらい文字が整っていなくとも、能書であるように書く書き方がある。やはり、ただうるさい様子で文字がゆがんだりせず、字と字の余白も生きているように書かれた作品は最高である。宋朝の欧陽脩おうようしゅうの作品は少し意を取ったものである。心の底から愛敬のあるものは難しいものであり、すべて上古の能書も、皆が満足することは大変なことである。ところで、法性寺殿は、昔の書家では、道風、佐理、行成、この三人を能書家とおっしゃられた。しかし、この三人にも長所短所がある。道風は、強く書いて俗っぽい。強さは徳、俗っぽさは失である。佐理は優麗であるが弱い。やさしさは徳、弱さは失である。行成は、(落筆に)愛敬が表れて筆跡に少々しっかりしたところがない。愛は徳、正念のないのは失である。だから『太平御覧』には、骨多く、肉の少ないものは筋書、肉多く骨が少ないのは墨猪、力が多くて筋がゆたかなものは聖であり、力なく筋もないのは病の書であると述べている。

    (一、物を書くには、 よくよく心を調じて思量すべし。荒く書くことなし。猶々ゆうゆう、存ずべきこと、太平御覧には、軍陣に向かひて合戦なるべく思ふなり云々。またいふ。右軍ゆうぐん王羲之おうぎし衛夫人えいふじん筆陣の図に題して曰く、「それ紙はじんなり。筆は刀矟とうさくなり。墨は鍪甲ぼうこうなり。水硯すいけん城池じょうちなり。本師ほんし心意しんい)は将軍なり。心意しんい本領ほんりょう)は副将なり。結構は謀略ぼうりゃくなり。颺筆ようひつ吉凶きっきょうなり。出入は号令なり。屈折くっせつ殺戮さつりくなり。それ書かんと欲して、まづ墨を研ぎ、神を凝らし思ひを静かにし、あらかじめ字形の大小偃仰えんぎょう平直振動を想い、筋骨をして相連ねしめ、筆意前に在りて、然るのち、字を作す云々」と。一番に知るべきなり。)
    物を書くには、十分心を調えて考えることだ。乱暴に書くことはしないことだ。ゆったりと考えながらやるべきこと、『太平御覧たいへいぎょらん』には、軍陣に向かって、合戦するように考えるべきである云々うんぬんとある。またさらに、王羲之おうぎし衛夫人えいふじんの作品陣図ひつじんずに題していうには、「そもそも紙は陣である。筆は刀や矛である。墨は甲骨である。水の入った硯は城を囲む堀である。師匠は将軍である。心は副将である。字の構えは策略である。筆をもつことは吉凶である。筆を紙につき放つ時は命令である。転折曲折は殺戮である。そこで書こうとして、まず墨をすり、気持ちを集中して心を静かにおちつかせ、前もって字形の大小、俯仰、平直、筆の振幅を考え、落筆の前に、作品の構想を練ってから字を書く云々」と。第一に理解すべきである。

    (一、手本を習ふには、まず本の筆づかひを心べきなり。本の意趣いしゅを心得ずして、筆にまかせて習ひつれば、本に向かふ時ばかりにて、我と書かれぬことなり。いづれの手本を習ふにもこの心を得べきなり。)
    手本を臨書するには、何よりもまず、手本の筆づかいを理解しなければならない。手本の筆意の趣を理解せずに、自分勝手に筆にまかせて書いていると、手本に向かう時だけは書けたような気になるが、自分で筆をすすめてみると書けないものである。だから古法を心得ている人に習うのがよい。どんな手本を習うにもこのことを覚えておくべきである。

    (一、手を習ふに本にも似たり、我もよく書くと思ひて本を捨て、雅意にまかせて書くは、自然に損ずるなり。いかにも初心の間は、よくよく用意すべきなり。さらば、ある先達の申すは、四、五十歳になりて、手は定まるともうし候ひしが、このことさることなり。不でもしたたまり、功が入りて後は、ともかうも書きたるは、苦しからざるなり。)
    字を習うとき、手本にも似たし、自分でもよく書けたと思って手本をおろそかにして、勝手気ままに書くと、自然と失敗してしまうことになる。ほんとうに初めのうちは十分に心をくだいて字を習うべきである。だから、ある先輩の方が、四、五十歳になって初めて書は確かなものになると申しましたが、この事は、もっともなことである。筆づかいもしっかりし、習熟した後は、どのように書いても見苦しくないものである。

    (一、手を習ふには、本の筆づかひ、意趣をこころえずして、ただ学びまた習ひたる文字ばかりをおぼえては、習はざる字は書かれざるなり。大旨たいしだにもつれば、自然に似ることなり。手本の意趣いしゅを心得ることは、未練の時は知り難し。先達せんだつに習ふべきなり。手跡しゅせきにて人の心の程は知らるなり。されば相構へて異様に書くべからず。故に本文に曰く、「筆の用うるは心に在り、心正しければ則ち筆正し」」となり。」
    字を臨書するには、手本の筆づかい、手本の筆意の趣を理解しないで、むやみに繰り返し学んだり、また習った文字ばかりを覚えたのでは、習っていない文字が書けなくなってしまう。だいたいの筆づかい、意趣だけでもつかめば、自然と似てくるものだ。手本の筆意をつかむことは、未熟の時はわかりにくいものである。先輩の指導を受けるべきである。書かれた字によってその人の心の様子は知れるものだ。そこで気をつけていい加減に書いてはいけない。だから、本文にも「用筆は人の心にもとづく。心が端正で真剣であれば、筆もしっかりと正しく運ばれる」とある。

    (一、手本を多く見るべきなり。が習はぬ手ならねばとて、必ずそしるべからざるなり。いかなる手跡も、皆おもしろきなり。捨て所知るべし。また、いかにも我と書かれざる文字をば、本を見て書かるるなり。縦ひまた習ふべきならねども、手書きの書きつる物を見れば、才覚付くなり。)
    手本を多くみるべきである。自分の習ったことのない書だからといって、決して非難してはいけない。いかなる筆跡も、皆おもしろいものである。筆の運びをよく理解するべきである。また、どうしても自分では書けない文字でも、手本を多くみていれば、書けるようになる。たとえまた学ぶものがないとしても、能書家の書いたものを見ていると、書く上での工夫や知恵がつくものである。

    (一、手本を数多持つべきなり。我が好むすぢならねばと思ふことなかれ。打見よく書きたれば、おもしろく能く候ふなり。能の中には、手が第一なり。身のため、人のため、よしあしに付けてありがたし。能書は大切なり。されば大国にもこの道をこそ重くせられはべるなり。)
    手本をたくさん持つのがよい。自分の好む書風ではないからどうもよくないなどと思ってはいけない。じっと見ると巧みに書いてあるので、心ひかれてなるほどと思うのです。技能に優れたものの中では、書が一番である。自分のため、他人のため、めでたい時も悪い時にも、尊いものであり、能書は大切な役目を持っている。だからこそ中国でも書の道を重んじているのです。

    (一、手本には古歌古詩を書くべきなり。ただ、人の所望ならば、新歌新詩をも書くべきなり。消息も古き本にて書くべし。仮字消息は、すべて書くまじきなり。)
    手本には古歌古詩を書くべきである。ただし人の望みであれば新歌や新詩でも書いてよい。手本も古い手本で書くべきである。しかし、仮名の手紙は、どんなものでも書くべきではない。

    (一、屏風書写などは、仔細あることなり。道風の筆を見しが、綾の屏風に大きらかなる下絵をしたりしに、頭をさしつどへて、ただ行草に、筆に任せて書けりと見ゆ。大体この体有るなきなり。)
    屏風びょうぶ書きなどは、その正しい書き方がある。道風とうふうの書いたものを見たが、あやの屏風に大柄な下絵をあしらったものに、行の頭をそろえてただ行草体で、筆のゆくに任せて書いたと思えた。大体、このような書き方があるとはいえない。

    ものりからん時、物書くことなかれ。文字あやしきのみならず、左様にしつければ、手あしくなるなり。吉き筆料紙ひつりょうしにて、心のいさましからんをり書くべきなり。非能書は、この次第をしらずして、いつもたやすく書くとのみ知りて、費書ひしょするなり。されば、手をしっせん人は、いか様に人言ふとも、とかくすべりて書くまじきなり。しく書きつれば、人にしたがひて恥あるなり。人にしたがひて書くは我が恥なり。我が損なり。かくのごときことは誰も知りやすさことなれども故実こじつの多きとは、かくのごときのことをこそ申しはべれ。手書きならざらん人も、この心をべきなり。管弦かんげんなんどするには、あしき調子はかえてすべきなり。あしくともかまはず、卒爾そつじにそのこととなくすることは僻事ひがごとなり。諸道しょどうはただかくのごとくなり。)
    大儀で気が進まない時は、物を書いてはいけない。文字がおかしくなるだけでなく、それが習慣になると、書き方も悪くなるものだ。よい筆をもって書きやすい紙で、心が気乗りしているときに書くべきである。書の下手な人は、このことを知らないで、いつも手軽に書くものだと思って、無駄書きをする。だから、書を大事に思う人は、どんなふうに人が言おうとも、上すべりして軽々しく書いてはいけない。悪く書いてしまえば、人の言いなりになって恥をかいたことであり、人に言いなりに書くのは自分の恥である。自分の損である。このようなことはだれでもわかることだけれども、意外と気づかない。古法をよく知っているものとはこのようなことをいうのです。書を習わぬ人でも、このことを覚えているべきである。管弦などをするにしても、悪い調子は、きちんとあわせてから演奏するべきである。悪くてもそんなことを気にもせず、いきなりあわてて準備なしにするのはよくないことである。どんな芸事でも、みなこのようなものである。

    (一、物語、草子書くことは、能書のいとせざることなり。夜鶴に次第見えたり。)
    物語の草子を書くことは、能書家はあまりしないものである。「夜鶴庭訓抄やかくていきんしょう」にこのことについて述べられている。

    (一、手習ひせんには、本に向かひてよく習ひて、物ぐさからぬ程、よき筆墨料紙にて書くべきなり。必ずその習ひつる文字ならねども、筆なるるなり。また本を持ちて習ひて、本をばかたかたに置きて見ずして書きて、本にあわせて見るべし。ただ本をもって習ひたるばかりにて、覚えざるは徒事なり。)
    書を習うには、手本に向かってよく練習し、おっくうにならないように、よい筆、墨、料紙で練習するのがよい。そうすれば、必ず前に練習した文字でなくても、筆がきちんと運べるものだ。また、手本を用いて練習したあとは、手本をそばにおいて見ないで書いて、書いたあとに手本にあわせて見比べるとよい。ただ手本ばかりを用いて練習しているだけで、覚えないのは無駄なことである。

    (一、手習ひするに、似ざる文字を相構あいかまへて似せんと、その字ばかりに心を尽くしぬれば、手習ひに退屈するなり。両三度も習ひて似ずば、しばらくその所をきて、別の所を習ひて、また帰りて習ふべきなり。かくのごとく度々重ねたれば、自然に似るなり。)
    書を習うのに、どうしても似ない文字をなんとか似せようとして、その字だけに一所懸命になると、練習に飽きるものである。二、三度書いてみて似なければ、少しその所はおいて、別の所を練習して、また戻って書くとよい。そのように、何度かくり返していると、自然に似るものである。

    (一、手習ひに貧福ひんぷくを思はず。また我も書き、人に物を書かせんにも、能々よくよく入木じゅぼくの道をば進むべきなり。されば、南史なんしに曰く、「江夏王鋒こうかおうほうあざな宣頴せんえい高帝こうてい(注 斉)第十三子だいじゅうさんしなり。年四歳にして、好んで書を学ぶに紙札しさつなし。乃ち井欄せいらんりて書を為す。書満つれば則ち之を洗ひ、すでた書す。五歳にして高帝こうてい鳳尾諾ほうびだくを学ば使む。ひとたび学べば即ちこう。皇帝大悦たいえつし、玉麒麟ぎょくきりんを以って之にたまひて曰く、「麒麟鳳尾きりんほうびを賞す」と。異国いこく例を以って、わがちょうにも、がく色紙形しきしがた等書くには、必ずろくを賜ふことなり。みな之に准じて知るべし。くわしく夜鶴やかくに見えたり。書く人も書かせん人も、かくのごとき故実をしるべきなり。顔魯公がんろこうちょくを奉じて額を書き、絹百疋きぬひゃくひつを賜ふとなり。)
    書を学ぶにあたって貧福を考えず、また自分も書き他人に物を書かせるような時にも十分に書の道を通すべきである。だから南史にいうには、「江夏王鋒こうかおうほうあざな宣頴せんえいせい高帝こうていの第十三子。年四歳で、好んで書を学んだが、書くべき紙や木札がない。それで井戸の囲いにもたれて書を書いた。書がいっぱいになると洗い流してまた書いた。五歳で高帝は鳳尾を学ばせたが、いったん学ぶとすぐに上手になった。高帝は大いによろこんで、玉の麒麟を賜って「麒麟が鳳凰の尾を賞めた」と。異国の例でもって、我が国でも、額や色紙型等を書く場合には、必ず報酬を受けることである。みなこれに合わせて知っておくがよい。くわしくは『夜鶴庭訓抄』に述べられている。書く人も書かせようとする人も、このような故実は知っておくべきである。顔魯公がんろこうは、勅命ちょくめいによって額を書き、絹百疋きぬひゃくひつを賜ったそうである。

    (一、願文等の草案をば、清書の許に留めておくなり。清書する故實こじつには、不審なることといへども、草案に任せて書くべきなり。これ清書の誤りにあらず。草案の僻事ひがごとなり。)
    願文がんもん等の草案を、清書した人の所に残しておくべきである。清書する故実からいくと、疑わしいものだと思えても草案の通りに書くべきである。これは清書の誤りでなく、草案の間違いなのである。

    (一、物を人にあつらへてあるのに、料紙りょうしのあまりたらんをば引き放ちて止めざるなり。料紙書き余りて、書かずしてかえすは、手書きの恥辱ちじょくなり。)
    物を人に頼まれている時に、料紙が余ってしまったなら切り取って、そのままにしないことである。なぜなら、料紙を書き残して、何も書かないで返すのは能書家の恥辱であるからである。

    (一、色紙形に物書くには、よくよく文字つづきを草案して書くべきなり。)
    色紙形に物を書くときは、十分に文字の連綿を下書きしてから清書すべきである。

    (一、必ず手本にさし当てて習はずといえども、つねづね心をかけてけて見れば、自然に随分ずいぶんとなるなり。わが書きたる物をも常々つねづね見て、善悪を思量しりょうすべきなり。)
    必ず手本をそばに置いて学ばなくても、いつも心がけて手本を見れば、自然にずいぶんと上手になるものだ。自分の書いたものも常々見て、良いとこと悪いところを考えるとよい。

    (一、近来ちかごろ弘誓院殿くぜいいんどの(注 教家)の御筆おんふでを学ぶ事。多くは以って損失そんしつするなり。そのゆえは、地体ぢたい自在じざいを得てあそばされたるに、筆勢ひっせいを書きたる御筆どもも相交じりて、我が筆勢の程をもわきまへず。御筆震えてあそばしたるを習ふ故、一定損ずるなり。地体くせもなく。筆もおさまりて後、少し筆勢をやつすは故実なり。つはあくがいぶんを計りて、手も習ふべきことなり。いかやうにもまづなおく習ふべきなり。さてこの御筆は、一旦習ひ似するやうにはおぼゆれども、始終は難なり。故実多き人は、この様を捨て他筆を学ぶ事なり。能々ようよく得心よくしんなしにはいかで損ずべき。いづれの筆も、おそらくこゝろえては、損ずることなりとも、この御筆は大事に侍るなり。三月 日  伊経これつね
    近頃、弘誓院殿くぜいいんどの藤原教家ふじわらののりいえ1193~1255)の御筆跡を学ぶことが多いが、その多くは損をしている。その理由は、おもいのままによい結体を得て書かれてはいらっしゃるが、筆勢のある筆づかいにもまざって、自分の用筆の程度も考えないで、弘誓院殿の震えてお書きになったのさえもまねるから、必ず失敗してしまうものである。字体もよく整って、筆づかいもしっかりした後に、少々筆勢を崩すのは古法にもある。まずは、自分の力の程度を知って書を学ぶべきである。さて、この弘誓院殿の御筆跡は、一時は習って似たようには思われるけれども、結局はだめなのである。古法を多く学ぶ人は、この書風はやめて、他の書を学ぶことである。十分にこのことを心得ていないでどうして損わないですむのか。必ず損じてしまうだろう。いずれの書法も心得ていてもおそらく損うことがあるかもしれないが、この弘誓院殿の書風は難しいものであります。 三月 日  伊経これつね

  • 書道とはどのような芸術なのか/書道とは「深さ」と「速さ」によって表現される「書きぶり」の芸術である

    書道とはどのような芸術なのか/書道とは「深さ」と「速さ」によって表現される「書きぶり」の芸術である

    前回の記事では、近代以降、外国から日本に入ってきた西欧思想せいおうしそう、とくに美術思想の影響によって、現代の書道作品に対する価値観があいまいになってしまっている、という話を紹介しました。

    では、西欧思想・美術思想に影響されていない、本来の書道とはどのような芸術なのでしょうか。書道の作品に対してどのような価値観で鑑賞すればよいのでしょうか。
    解説していきます。

    書道は「書きぶり」の芸術

    書道の作品をみるということは、毛筆の先端と紙とが接触し、書き進められていくその過程である「書きぶり」をみているということです。
    書き手から筆に加えられる力と、紙から反発する力を筆先から逆に感じながら書き進むときに生じる摩擦まさつ、その摩擦を目でみながら常に微調整し、制御されている様子が「書きぶり」です。

    文字が読めなくでも、良いと思える作品があります。また、書かれた言葉はとてもいいのに、書道の作品としてはあまり良いと思えない、という例があり、またその逆もあります。

    このように、書道が文章の内容とべつべつに独立しているようにも思える理由は、書道が造形や美術とながめられるからではなく、書かれた言葉を生み出す「書きぶり」が、言葉とはべつに独立しているからです。

    ちなみに、毛筆のほかにもボールペンや鉛筆などの筆記具があります。どれも紙と筆記具との接触、つまり「書きぶり」を生み出しますが、ボールペンや鉛筆で書いた点画は細く、比較的均一で、毛筆よりもその「書きぶり」が分かりづらいです。毛筆は、作者が加える力も表現できるため、ボールペンや鉛筆などよりも、深さを表現しやすい筆記具なのです。

    それでは、書道の表現を決定する「書きぶり」とは、どのように表現されるのでしょうか。

    書道の「書きぶり」は「深さ」と「速度」によって表現される

    書道の「書きぶり」は「深さ」と「速度」によって表現されます。

    「深さ」について、私は「深い」という言葉があいまいでよくわからないため苦手です。物理的なプールなどの「深い」は理解できますが、よく「深みのある味ですね~」とか「深みのある作品ですね~」などと情緒的じょうちょてきな感想をいうときに使われる「深い」はなんなのかよくわかりません。

    残念ながら今回紹介する「深さ」は後者の方になるかとおもいます。できるだけわかりやすく解説していきたいと思います。

    それでは、書道の「深さ」「速度」とはどのようなものなのでしょうか。
    それぞれ解説していきます。

    書道は「深さ」をもつ芸術

    絵画や書道を「平面芸術」、彫刻や建築を「立体芸術」ととらえることができます。

    書道とは「平面芸術」なのです。屁理屈へりくつをいえば、紙の上に墨がすこし盛り上がるように乗っているでしょうから、立体芸術だといえるかもしれません。

    しかし、書道は墨によって紙が厚みをもつ、という物理的な意味での「深み」ではなく、表現において深さの表現を持つ芸術です。

    お墓などの石碑には、凹凸をつけて、亡くなった方の名前が彫られます。石屋さんが「○○之墓」と、まるで筆で書いたかのような文字を彫ってくれます。
    私たちは、毛筆で書いた文字と彫った文字との間はかんたんに転換可能な直接性と同一性を感じています。平面的な書いた文字が、石に彫り込まれた立体的な石碑の文字と化しても、だれも変には思わないのです。

    一般的に、太い線は深いことにたとえられ、細い線は浅いことにたとえられます。また石を掘る人は、点画が太いところは深く、細いところは浅く彫ります。さらにまた、濃い墨で書かれた文字は深く、うすい墨は浅く彫ります。うすい墨がほんわりとした感情を漂わせ、濃い墨は厳しく強い表情を漂わすことが多いのは、この点画の表現上の深さとかかわりがあります。
    また、「仮名」の作品がうすい墨で書かれることが多いのは、浅瀬を走る川の水のような流動性との関係が深いです。

    このように書道とは、底の見えないほどの深さと、触れるか触れないかほどの浅さを両極端として、「深々とした味わいのある作品」または「さらさらと浅瀬を流れるような作品」など、さまざまな深さを持つ表現なのです。

    書道は「速度」の芸術

    書かれた文字には、「深さ」のほかに「速度」が定着されています。

    流麗りゅうれいな」「流暢りゅうちょうな」とか「流れるような」というのは、そこに速度がみられるからです。

    時間が流れることで文字が作られていきます。その過程が紙の上に定着していくのだから、深さのほかに書きぶりには速度が定着されており、ていねいになぞってみれば書いているときの速度がよみがえってきます。

    書かれた文字から感じ取れる速度が、実際に運筆した速度と必ずしも同じであるとは限りませんが、文字は一定の筆順、法則があるため、この速度で書かれたはずだという速度はわかります。つまり、表現された速度は文字に定着されているのです。

    毛筆に限らず、ボールペンや鉛筆でも、書いたときの速度を読みとることができます。その理由は、速い速度で書かれた点画は直線的なすっきりした直線になり、カーブする部分もすっきりした放物線を描き、その逆にゆっくり書いた場合には、点画の線が揺れ、線の輪郭が鈍くなるからです。

    書道の線と絵画の線は別物

    文字の点画を「線」と表現した場合、絵画における「描線」とは区別する必要があります。

    西欧絵画の理論から書道を説明しようとしていることがありますが、混同してしまうと書道とはなにかが曖昧になってしまいます。

    作者が力を加えることによって穂先は紙に触れ、紙から反発する力に抵抗しつつ文字を書いていきます。穂先と紙との間の接触と抵抗と摩擦と離脱によって文字は作られていきます。

    そのため書道は「線の美」というよりも、「書きぶりの美」ととらえるべきなのです。

    「深さ」と「速度」によって表現される作者の想い

    書道は点画や文字を書くことを通して表現された「深さ」と「速度」が合わさることによって、作者の想いが表現されます。

    歴史上、有名な中国の書道家たちは、みんな政治的に反勢力に立ち向かう知識人たちです。その方々の筆跡は、言葉によって世間とわたり合う姿を表現する、という書道の本質に根ざしています。

    中国の書字活動を中心的にになったのは、六朝りくちょう時代には貴族の士大夫したいふとう時代は政権の中枢、またそう時代以降は知識人である士大夫したいふ士人しじん文人ぶんじんでした。

    権威と権力をで象徴させるなら、官位を得て、政治で戦う士人は手に剣を持ちます。政治が思うようにいかず、政治の舞台から退いたとき、彼らは剣をに持ちかえて闘います。筆で理想の人間と人間社会をめざすのが、文人であり、俗世間から離れて暮らす隠逸いんいつです。

    中国の筆跡は、政治と政治的挫折に悩み、その政治的勢力に抵抗する力・志が表現されています。

    筆を自分自身、紙を他人または世間ととらえれば、筆と紙とが触れ合う「書きぶり」は、自分と他人との総合的関係の比喩であるとみなすことができます。その表現は筆を強く押さえつけるとか、強い線というような野放的な表現ではなく、言葉をつむぎだしている渦中の表現です。言葉で他人や世間に立ち向かっている作者の姿が筆跡に定着しています。

    以上の作者の想いを表現することが、書道の美といわれるものの本当の姿です。書道というのは、単に文字を書く技術でも、書かれた文字の造形美でもありません。「うまい」「へた」もありません。もし書道が書かれた文字の造形美なのだとしたら、バランスよく書かれた習字のお手本も、1つの作品として成り立つことになります。

    現代のわたしたちに置き換えて考えてみると、自分の意見をもたずに世間に流されるのは、政治にかぎらず反勢力に立ち向かっているとはいえません。自分で学んだり、人の意見を聞きに行ったりすれば、世の中のあらゆる問題に対して「こうあるべきなのではないか」と自分の意見をもてるようになります。その思いを文章に表現することが、書道の本質なのです。

    まとめ

    今回は、外国から入ってきた西欧思想・美術思想に影響されていない場合の書道の価値観を紹介してきました。

    書道とはどのような芸術なのか、意見はさまざまで、今回紹介したのは1つの意見にすぎません。
    このことをきっかけに書道とはどのような芸術か、自分なりに考えてみはいかがでしょうか?

    本記事をまとめると、書道の作品をみるということは「書きぶり」をみているということです。

    点画の書きぶりは、筆の先端と紙との関係に生じます。書きぶりとは、作者から筆の先端に加えられる力と、筆先から逆に伝えられる紙からの反発と、その痕跡をみて微調整し、制御していくことです。

    そして、その「書きぶり」は「深さ」と「速度」が合わさって表現された、作者の「想い」です。

    書道の活動は、中国の政治制度の下で、政治的、社会的、人間関係的にあらがう文人だちの表現として育まれ、東アジアの芸術の中心として位置してきました。

  • 外国から入ってきた西欧思想・美術思想による現代の書道観への影響/書道の「美」とは何なのか?/書道は美術ではないのか論争

    外国から入ってきた西欧思想・美術思想による現代の書道観への影響/書道の「美」とは何なのか?/書道は美術ではないのか論争

    書道の作品、なにがよくて、なにがよくないものなのか、よくわからないなと思ったことはありませんか?

    公募展作品の審査の場面で、「こっちの方が元気があるよね」とか「こっちの方が行がそろってるよね」などといって、作品の優劣をつけています。
    では、書道とは元気な雰囲気を出して、行をそろえて書くことをがんばる競技なのでしょうか?

    そうではないはず…ですよね?

    昔の評価されている有名な書道家方の作品に「元気がある」「行がそろっている」などという評価基準はありません。「元気がある」「行がそろっている」という評価基準で作品の優劣をつけられるのであれば、昔の書道家の作品はよくない作品ということになってしまいます。

    現代の書道作品に対する価値観があいまいになってしまった原因には、近代以降、外国から入ってきた西欧思想、とくに美術思想の影響があると考えられます。

    今回は、西欧思想、美術思想に影響された現代の書道観を紹介していきます。
    そしてまた、本来書道とはどうあるべきなのかも考えます。

    書道とはなにか、をはじめて考えることとなった「書道は美術なのか」論争を紹介

    書道とはなにか、についてはじめて考えることとなった「書道は美術なのか」論争を紹介します。

    明治時代は、日本がいままでにない西欧の近代文明を吸収していく若々しい時代でした。
    明治15年、洋画家:小山正太郎こやましょうたろうと、東京美術学校、現在の東京芸術大学をつくった美術政策家:岡倉天心おかくらてんしんとの間で、書道は美術なのか、そうでないのか、という議論が『東洋学芸雑誌』のなかで取り上げられました。

    論争の仕掛人は、書道が美術として勧業博覧会に出品されるなんてとんでもないと考える小山正太郎こやましょうたろうです。書道とは基本的に言葉が書かれることによって生まれるものであって、言葉を書きつけたものにすぎないと割り切って考えました。

    「書道作品に感動するというけれども、実は書かれた語句に感動しているだけのことではないか。東洋の文字も西洋の文字も文字に変わりはないので、東洋にだけ書道があるというのはおかしい。西洋の文字が美術でないのだから、東洋の文字も美術ではない」としたのです。

    この意見に対して、岡倉天心おかくらてんしんは反論しました。
    東洋の書道は文字の大小、配列、形を工夫するのだから、美術として取り扱っても良いのではないか
    という意見でした。

    当時、小山正太郎は26歳、岡倉天心は21歳でした。

    当時の書道家は、この論争を知っていたのかどうかは分かりませんが、書道家にしてみれは、「書道は書道である」という以外に、美術であろうとそうでないとしても、そんなことはどちらでもよかったのでした。それよりも良い作品を書いて、良い作品を楽しめればそれでよかったのです。

    しかし、この書道は美術なのか論争は、「書道とはなにか」がはじめて問われたという点で重大な意味を持つのです。それにもかかわらず、小山正太郎の「書道は文字」という意見も、岡倉天心の「書道は美術」という意見も、つい最近までは理論的に考察されることはありませんでした。

    書道をする書道家が、「書道は書道である」という感覚にまったく疑問を持たずに固執して、そのなかで、書道作品に感動するとか、書道に愛着を感じるというのはどういうことなのかを明らかにすればよかったのですが、実際にはそのような取りくみは行われませんでした。

    書道の美の理論をしっかりと打ち立てる余裕もないまま、外国からやってきた西欧思想、とくに美術思想に揺さぶりをかけられた結果、あいまいで本来の書道とは違った書道観、書道に関する意見が形成され、一般大衆にまで広まってしまったのでした。

    つづいて、外国からやってきた西欧思想、美術思想に影響された現代の書道観を紹介していきます↓

    書道はどのようなものと考えられてきたのか

    近代以降、言葉を書いただけの紙がなぜ美しいと感じるのかを、いろいろな人が解明しようと試みてきました。それらを大きく分けると、

    • 書道は文字の美的工夫
    • 書道は文字の美術
    • 書道は線の美
    • 書道は人なり

    の4つに整理されます。

    それぞれ紹介していきます。

    書道は文字の美的工夫

    「文字の美的工夫」とは、1つ1つの画をどの方向にどれくらの力で引いて、どのような大きさのどのような形に仕上げ、字の並び、配列、配置を工夫することが書道だ、という意見です。

    「は」の1画目を長く書くか短く書くか、3画目を長く書くか短く書くかといふのが芸術になるので、…

    やはり同じ「お」の字を書いた。同じだといっても重ねてごらんなさい、1つの線の間隔はちがふ。「お」の字が2つ並んでも単調にならないやうにするというふのは芸術がするのです。

    会津八一「東洋文芸雑考」

    会津八一あいずやいちのこの言葉は、「美的工夫」論の代表例です。
    また、「書道は美術なのか」論争で紹介した、岡倉天心おかくらてんしんが唱えた「造形的に工夫するところがあるから書道も芸術だ」という意見もおなじ「美的工夫」論です。

    作品を制作する際に、「文字の美的工夫」が書道である、という考えは、多くの人に対して書道というのはそういうものだろうと納得させる主張であり、現在もっとも広く信じられているものではないでしょうか。

    では、構成をいろいろ考えて書きあげた個性的な作品が「美」なのでしょうか。

    個性的な字が「美」なのか

    「大」という字の右上に点をつければ「犬」、下に点をつければ「太」というように、文字には、歴史的、社会的な約束である字形のきまりがあります。私たちは、このきまりにしたがって文字を書きます。

    点がついていないのに「犬」とは読めません。きまりを無視して書いてしまえば、もはや文字、つまり言葉をかきとどめたとは言えません。

    そのとき、ある人は「犬」の点を遠くに書き、またある人は「犬」の横画を長めに書くとします。このように、実際の書いた文字にある人それぞれの特徴に書道の美がある、という考えるのです。

    しかし、この人それぞれの特徴がそのまま「美」である、と言えるのでしょうか。言えないと思います。もしそうだとしたら、癖の強い字ほど美しい字だということになってしまうからです。

    書道家の個性的な作品は「美」なのでしょうか?

    書道教室に通う人は、「手癖」という人それぞれの特徴を小さくしたい、または歴史的・社会的な基準に改善したいと考えて通います。

    一方、書道展に出品するような書道家は、あるがままの自分だけの特徴を活かしてゆがんだ文字の作品を作ります。

    つまり、悪筆に悩むひとは自分の特徴を小さくしたくて、書道家は特徴を大きくしたいのです。

    戦後・現代の書道家は、この「書道は美的工夫」論をよりどころに、画の長さ、傾きなどを工夫し、数々のゆがんだ文字からなる作品を制作してきました。ゆがんだ文字は戦後書道の基本作法さくほうとなっています。

    書道展をひらく作家や詩人は、あるがままの自分だけの特徴を尊びます。

    それぞれの特徴を、個性と呼べば、書道は個性の美ということになります。

    現代の書道家は、意図的に癖のある字の作品を書きますが、それが「美」であるとは限らないのではないでしょうか。

    書道は文字の美術

    上の「美的工夫」論をさらにおしすすめていくと、「書道は文字の美術」論に行きつきます。

    書道は造形芸術、美術の1ジャンルである」という意見です。

    書は造形芸術(美術)の1ジャンルである。文字を書くことを場所として成立した独特の芸術である。

    文学が、文学とその意味内容との緊張関係に、重心を置く言語性の芸術であるに対して、書はむしろ文学とその視覚形象との緊張関係に重心を置く視覚性の芸術なのである。

    井島勉『書の美学と書教育』

    西洋美学者:井島勉いじまつとむによるこの明確な位置づけは、戦後の前衛ぜんえい書道家をはげまし、戦後前衛ぜんえい書道の思想となり、また、いわゆる伝統的な書道家も含めて、現在の書道界はこの理論の上に作品を制作しています。

    これは書道を「文字の規範+人それぞれの特徴」と考える「文字の美的工夫」論に立っています。正確には、「美的工夫」論ではあいまいになっていた部分をきっぱり脱ぎ捨てたのが、「文字の美術」論です。

    しかし、はたして書道は、「文字を書くことを場所として成立した美術」、言いかえれば、点画の長さを長くしたり短くしたりして文字の形をゆがませるものなのでしょうか。

    絵画には抽象画というジャンルがありますが、そもそものルーツが違うため一緒にしてはいけません。書道はもともと実用的なものです。文字を記号として扱うのではなく、言葉として扱うべきなのです。

    書道は線の美

    書道は「文字の美的工夫」「文字の美術」論と並んで、もう1つ書道家たちが唱えるのがあります。それは、書道は「線の美」であるという論です。
    現在の書道家の方々のほとんどが、書道とは「美的工夫」+「線の美」または、「文字の美術」+「線の美」であると考えています。

    「線の美」とは、文字は点画を組み立てていくことで作られます。出来上がった字形よりも、文字を作りあげているその点画を「線」と呼んで、その点画のほうに焦点を向けたのが、「書道は線の美」論です。

    この「書道は線の美」が歴史上いつごろから唱えられているのか、正確にはわかりませんが、明治45年に、書道家・諸井春畦もろいしゅんけいが著した『書法三角論』のなかに、すでに次のような記述があります。

    乃ち、形体の良否は、配線はいせんの美、即ち間架かんか均斉きんせい疎密そみつ円暢えんちょう俯仰ふぎょう向背こうはい陰陽いんよう相応そうおう等美的観念を基礎とするものにして、一点一画のに至るまで整然せいぜんとして形式美を発揮せしむるに足る。

    書によりて、吾人に快感を与ふるものは、画そのものが配色にのみよりて、其の美を論ずるにあらざるが如く、又唯々形象のみを主とするにもあらざるが如く、其の妙一枝いっしの筆、能く線の美を発揮するにあればなり。

    諸井春畦『書法三角論』

    明治45年にすでに「配線の美」「線の美」という記述がありますが、「線の美」論を決定的にしたのは昭和、つまり現代に入ってからです。

    書道家・比田井天来ひだいてんらいの弟子・鮫島看山さめじまかんざんは、はっきりと次のように宣言しました。

    一、凡そ書の内容は何であるか、書は何を表現せんとするのであるか、文字であるか、文字ではない。文字は単なる素材である。それなら文学的ボエジーや道徳的フモールであるか、両者でもない。此等の従属物であるならむしろ文学的制作や倫理的実践に譲った方が賢明である。古人が「書は散也懐抱を散ずる也」と云ったのは心理である。即ち懐抱即ち主観が書の内容をなすのである。詳しく言ふならば書は文学と云ふ素材を借りて作者の主張を表現するところの線の芸術である。

    鮫島看山「作書理法覚書」

    今の書道家に、「書道の美とは何ですか」と聞いてみたら、きっと「線の美」についての回答があるでしょう。

    「書道は線の美」という意見は、西欧の絵画理論に幻惑されたことによって生まれた意見です。文字の点画を「線」とし、絵画の描写上の「線」とを同じように扱うことによって、書道を絵画のように華々しい舞台に立たせたいという願望によって「線の美」論が誕生しました。そのため、「書道は線の美」という意見は、「書道は文字の美術」論と車の両輪のような関係にあります。

    前衛書道の営みを否定はしません。近代以降の書道の歩みからいって必然的な流れでしょう。
    しかし、こういった西欧思想によって本来の書道から踏みはずしが行われたことだけは、見落とすべきではないと思うのです。

    書道は人なり

    「書道は人なり」、または「書道は人格を表す」とか「書道は人柄を表す」という言葉があります。

    書道は、文字の上にそれを書いた人の精神・感情・肉体が現れている。文字からその人の人柄が伝わってくる。というものです。

    書の本質は云ふまでもなく文字の上に人間の生命の躍動を率直簡潔に表現されたものであって、その筆者の精神・感情・肉体を合してその真面目を現はして居るものであります。

    上田桑鳩『臨書研究 上』

    書は単に文字であるのではなくて、いのちの世界の表れ出たかたちであります。いのちの世界、意識のかなたで自己決定した深い意味での生き方、その生き方が生み出したかたちが書であります。書は生き方のかたちである、…

    森田子龍『書ー生き方のかたち』

    書は人なりで、書でもって人柄がよくわかるが、私はさらに書は体格なりで、書でもって体格さえ察せられるようにおもっている。

    福本和夫『書味真髄』

    これに対して私は、ちょっと嫌味になりますが、とくに書道に限らず文学も絵画も、それよりなにより日常の行動そのものから性格は表れます。

    「書道は人なり」という意見は、「人なり」が表現や美をもたらす源泉であるにしても、「文は人なり」「絵画は人なり」ともいろいろなものに言いかえられるように、書道に固有の美が成立する構造や特性について、なにも解明したことにはなりません。
    とはいえ、書道については、とくにそう言ってみたい誘惑にかられる気持ちもわかります。

    「書道は人なり」という以上、作品と作者との関係を解明しなければなりません。その作品のどういった点が作者のどんな性格とリンクしているのか、理論的に説明する必要があります。

    まとめ:書道は本来「造形芸術」ではない

    ここまで「美的工夫=美術論」「線の美」「書道は人格論」の4つの書道観を紹介してきました。
    しかし、これら従来の書道観はすべて西欧思想に影響された、本来の書道観とは少しずれた価値観ではないかと考えられます。

    その原因は、「文字」には言葉と造形の二側面があり、言葉の側面は文学、造形の側面が書道であると、単純に二分法で解明しようとした点にあります。書道を「文字を書く」ことだと考え、さらにその「文字」を線からなる図形と考えたのです。

    現代の書道家が作品制作の際にいろいろと構成を考えるとき、文字は単なる図形と割り切っています。文字を図形と考えることによって、図形とそれを構成する線に注目するようになります。

    書道家が、文字は単なる図形ととらえようとも、文字は言葉の筆跡であって、決して図形ではありません。

    「書道は美術なのか」論争で小山正太郎が唱えたように、アルファベットも日本の漢字かな交じり文も、ペンで書くか、筆で書くかの違いはあるにしても、本質的なところではなんら変わりのない「筆跡」「書字跡」です。

    文字というのは、決して「図形」ではありません。文字と呼ばれているものは、言葉の書かれた跡、また言葉そのものです。筆跡とはかかれた言葉の跡、言葉のかたまりです。ここが書道を理解する出発点です。

    「言葉を書く」ことから出発するべきものを、「文字を書く」というありもしないところから出発してしまったところに、誤りの原因があるのです。

    次回:書道とはなにかを解明する

    今回は、明治15年の小山正太郎の「書道は文字」論、岡倉天心の「書道は美的工夫」論の立場からの「書道は美術なのか」論争を紹介し、現在、一般に書道の美とはどのようなものと理解されているのかを「書道は美的工夫」論、「書道は文字の美術」論、「書道は線の美」論、「書道は人なり」論の4つに整理し、紹介しました。

    そのどれもが、書道の一断面をいい当ててはいるものの、決して書道の美が感じられるしくみに踏み込めきれていません。

    それは、書道を「文字を書く」という実際にはありえない出発点から解明しようとしたからで、書道を解明するためには「言葉を書く」という出発点から考察し直す必要があります。

    そこで、次の記事では、書道を言葉を書きとどめた筆跡、書字跡、肉筆であるという出発点から、書道とはなにかを解明しようと思います。

    参考文献:石川九楊『書とはどういう藝術か』

  • 【書道作品】なにがいい作品なのか正直わからない問題/書道とはいったい何なのか、どうあるべきなのかを考えてみます

    【書道作品】なにがいい作品なのか正直わからない問題/書道とはいったい何なのか、どうあるべきなのかを考えてみます

    なにがいい作品なのか正直よくわからない問題

    昔よりは減ったかもしれませんが、現在でも身近に筆で書いた書道の作品を見かけることはあります。お習字教室も、またその発表会に並ぶ作品も書道作品の1つです。

    その作品をみてなんとなく「うまい」「へた」「勢いがある」「弱々しい」などとは感じても、本当に「良い」のか「悪い」のか自信をもって判断できる人は少ないのではないでしょうか。

    これは、「書道は習い事」という意識によって、現代の書道に対する価値基準がゆがんでしまっているからだと考えられます。

    なかには「この作品はいつまで眺めていても飽きない」だとか「心が落ち着く」「勇気づけられる」とおもう人もいます。
    もし、書道の作品が人の心を落ち着かせたり、人を勇気づけられたりすることがあるとすれば、書道に「美」というものは確実に存在すると考えられます。その「美」とはどこから来るのか、それを解き明かすことが、本来の書道の在り方を解き明かすことにつながるのです。

    書道は習い事の1つという意識

    「書道」というと、一般の人は何を思い浮かべるでしょうか。

    子どもが習字教室に通う姿や、子育てのめどがついた主婦の趣味など、「習字」を思い浮かべる人がやはりいちばん多いのではないでしょうか。

    メディアからわかる書道は習い事という意識

    今の時代さまざまなメディア媒体ばいたいがありますが、新聞においては書道に関する記事がとり上げられることがよくあります。

    その内容に注目してみると、ほとんどが町の公民館や美術館などでの団体展、つまり書道教室の発表会です。書道は、華道かどう茶道さどうと同じような習い事であり、書道展というのは、習い事の発表会という一般の人々の意識が新聞記事からはっきり見えてきます。

    華道や茶道のことを、書道よりも下に見ているつもりはありません。むしろ逆で、近代以降、華道や茶道はおおやけの権力や教育機関、知識人から見捨てられてしまいますが、これらの文化を延命させたのは習い事文化であり、一般大衆から受け入れられ続けてきた証拠なのです。

    華道や茶道や書道は、多くの人々の根強い共感と支持があったからこそ、これらは習い事に姿を変えながら生き延びてきました。

    書道展(公募展)は書道教室の発表会

    書道展は、美術展とおなじ美術館で開催されることはあっても、美術展と書道展はちがった様式をとります。

    書道展は、たとえ公募展と名乗っていても、それを運営する方々が持っている書道教室の習い事発表会となっています。運営している会派に属していない人が、いくら素晴らしい作品を出品しても、入選できるわくはごくわずかです。

    知らない人の習い事発表会を観たい人はいませんよね。そのためほとんどの観客は、出品者とその友人、知人です。

    新聞社主催の大きな書道展も同じです。審査で入賞作品を選出する、とうたってはいるものの、書道教室の発表会に変わりはありません。
    入賞作品が多すぎるため、間隔狭くみっちりと並べられ、2段、3段と壁を埋めつくすように作品が展示されています。展示作品が多すぎるため、受付で作品を観たい人の名前を言うと、展示してある部屋までの道順を赤色のペンで書きこんだ地図を渡してくれることもあります。

    ちなみに、大きい新聞社主催の公募展の出品数は約2万点。入賞率は6割ほどもあります。6割をきると「今年の審査は厳しかった」といわれる世界です。

    こういう大規模な書道教室発表会を、文化勲章・文化功労章受賞者・芸術院会員などの肩書をもった書道家が頂点で取り仕切ります。

    日本の政治家が、市町村議会議員から都道府県議会議員→国会議員→大臣→総理大臣というコースを描くように、日本の組織は地方から中央へという立身出世型、年功序列型のような形をとりたがるのです。書道の組織構図も例外ではありません。

    昔の書道家の作品は評価されない?

    書道というとまっさきに思い浮かぶ子供の習字教室や、またその発表会に並ぶ作品も、書道の作品の1種であることには違いありません。

    しかし、少し考えてみると、おかしなことに気づきます。

    たとえば、書道史に登場する王羲之おうぎしとう時代の太宗皇帝たいそうこうてい顔真卿がんしんけい蘇軾そしょく蘇東坡そとうば)、黄庭堅こうていけん山谷ざんこく)らは、中国の優れた政治家でした。

    日本の空海くうかい嵯峨天皇さがてんのう小野道風おののとうふう藤原行成ふじわらのゆきなりなども、それぞれの時代を背負った有名な能書のうしょ(字を書くのが上手な人)でした。

    現在習字に熱心な子どもや主婦の習字、またはその先生の作品と、これら書道の歴史上の担い手の書道作品は、全く違っています

    「昔の書道家たちの作品を現在の書道展に出品したら、きっと落選するだろう」というブラックユーモアさえあるほどです。

    近代以降の書道作品が評価しづらくなった原因を時代のせいにするのは簡単です。時代のせいなのはあたりまえだからです。

    しかし、近代以降、とくに戦後の書道作品のとらえ方や見方は、時代的限界に色濃く縁どられた大きなゆがみを持っています。その歪みが近代以前の書道作品を見えにくくし、自分で書くことについても、自信とこれが正解だという確信を失わせてしまっているのです。

    近代以降出てきたさまざまな書道についての意見を再検討し、採用するべきところは採用し、捨てるべきところはきっぱりと捨て去り、歴史的かつ現代的視点を獲得することができれば、書道はきっとおどろくほどみずみずしい姿に生まれ変わるのではないでしょうか。

    書道は暗く、辛気くさく、古くさいように見えます。事実その通りかもしれませんが、その読み方が深まるとても魅力的なものなのです。

    絵画のような書道作品しか売れない

    こういった書道=教育という価値観から脱却したいと思い、書道教室でお金を儲けるのではなく、作品を売って儲けたいと思う人たちが出てきます。

    しかし、書道展は事実上、書道教室の発表会となっているように、お金を払ってまで作品を買いたいというマーケットは作られてこなかったのです。

    そこで、1部の書道家の方々は、書道を絵画のような美術の一環として位置付けることができれば、作品に金銭的価値が生まれると考えたのです。

    書道の作品を絵画のように売れる作品にするべきだと考え、現代美術のような作品をつくり、ギャラリーに並べます。本来の書道の研鑽や解明などよりも、現代美術の知識を仕入れることに励んでいます。

    気持ちはわからないでもないですが、このような方々は伝統的な書道をしているひとからすると、
    「いいとおもうけど、、これは書道なのか、?(笑)」
    となります。境界線があいまいになってしまいます。

    絵画のような価値観で見てもらう書道作品のほうが売れるのはわかります。伝統的な書道作品に金銭的価値がつかなくなってしまったのは、市場を育成してこなかったこれまでの書道界の責任でしょう。(絵画は金銭的価値がつくように文化をつくってきています。)

    書道が身近にない人が、書道に触れる入りはこういった作品でもいいですが、そこから興味をもってくれた人にはルーツ(歴史)も深めていってほしいものです。

    書道とはどうあるべきなのか、本来の書道は習い事ではない

    書道は大衆の人々による習い事文化によって支えられてきました。

    しかし、それがきっかけで書道を教育と考える大衆的意識が定着してしまいました。

    書道を教育ととらえる大衆の視点からは、「うまい」「へた」という評価しか生まれてきません。本来の書道というのは、そもそも「うまい」「へた」という評価基準はないにもかかわらずです。

    書道というのは、書道という固有の表現です。

    近代、現代という時代に、西欧思想が入ってきたことによってかなりゆがんだ形になってしまいましたが、本来の書道とは1つの表現であって、決して教育にとどまるものではありません。

    書道の歴史、つまり書道という表現の歴史の末端に現在の書道の表現があるのです

    評論家の文章が国語の教科書に引用されていても、その文章は受験生のテキストではないように、王羲之や顔真卿などの筆跡もまた、書道の手本ではなく、書道という表現の歴史なのです。

    「うまい」「へた」、習字・書道教室、書道展といった教育、習い事の観点からは、本来の書道は姿を現しません。

    書道の歴史の末端に、可能かどうかは置いておいて、現在の書道の表現があります。その表現を支える根底に、習字・書道教室、書道展があるという視点を回復しない限り、本当の書道の理解、またそのおもしろさには出会えないのです。

  • 入木抄(じゅぼくしょう)について解説/内容を現代語訳で紹介

    入木抄(じゅぼくしょう)について解説/内容を現代語訳で紹介

    入木抄(じゅぼくしょう)について解説

    入木抄じゅぼくしょうは南北朝時代に、尊円法親王そんえんほうしんのう後光厳天皇ごこうごうてんのうに書道の入門書として上奏したものです。

    上奏とは言っても、尊円法親王は55歳、後光厳天皇は弱冠じゃっかん15歳のときで、書道の上では師弟関係にありました。

    内容は、書道上達のための心得を教える講義内容が書かれています。

    成立の詳細な年は、その伝写本の奥書に「文和元年十一月十五日」とあることから、西暦でいうと1352年とされています。

    入木抄じゅぼくしょう入木とは、「書道」と同義語として使われています。入木道じゅぼくどうともいいます。

    入木抄じゅぼくしょう抄とは、書き写すことをいいますが、入木抄のほかにも「才葉抄さいようしょう」「夜鶴庭訓抄やかくていきんしょう」などという書物があり、「~抄」という使われ方をしています。

    「入木抄」より前に書かれた「夜鶴庭訓抄やかくていきんしょう」は、日本において「入木」の語を定義した最も古いものとされています。↓

    入木抄の内容を現代語訳で紹介

    1,筆の持ち方について

    入木抄 筆を取る事
    入木抄(筆を取る事、御稽古の始めより~)

    筆を取る事
    筆の持ち方

    (御稽古の始めより取り定めおわすべくそうろうしく取り付きそうらいぬれば、改められ難き事にてそうろうなり。)
    お稽古を始めるときから、どのように筆を持つかをお決めにならねばなりません。悪い持ち方を身に着けてしまうと、直しにくいものです。

    (その取り様は、中指クケタカの両節の中央に筆を置きて、頭指ひとさしゆび人さしのそばと大指の腹とにて押さえて取り候うなり。薬指と小指と二つをば握らずして、ひしと寄せて、中指の下に重ねて、中指の力に成し候うなり。)
    その持ち方は、中指の第一関節と第二関節の中間に筆の軸を当て、人差し指の側面と親指の腹とで押さえて筆を持ちます。薬指と小指の二本では握らずにぴたりと寄せて、中指の下に重ね、中指の力添えにするのです。

    入木抄 ~なして握らず候なり~
    入木抄(なして握らず候なり~) ※筆の持ち方の絵が載っている

    (たなごころの内をば、うつろになして握らず候うなり大指おやゆびの節をば、立てたるも反らしたるも、見悪しく候。よき程に筆をよく取りて、手つきはまろまろとしてよく候うなり。)
    手のひらの中を空虚にしておき、握らないようにします。親指の関節を立てたりするのも、逆にそらしたりするのも見苦しいものです。このようにほどよく筆をもつと、手のこうが丸々として見良いものです。

    (この取りようは、初めは取り悪くきようそうらえども、後には殊によくそうろう。筆も自在に使われ、字もよく書かれ候う間、かくのごとく取り候うを本とし候うなり。)
    この握り方は、初めのうちは握りにくいようですが、後には、この上なく良い握り方になります。筆も自由自在に取り扱うことができ。字もよく書くことができますので、このような持ち方を基本としています。

    (筆の取り様悪しく候えば、字も従いてよろしからず。また、筆をいか程にも強く取り候うなり。)
    持ち方が悪いと、書かれた字もそれに伴って良くありません。また、筆を強く持つことにもなって自由さを失います。

    (弘法大師の執筆法には、図絵を載せられたり。それも、いささか今の執り様には違わず候う間、またこれを図く。)
    弘法大師こうぼうだいし空海くうかい)の執筆法には、図を載せておられます。その執筆法は、現在の執筆法と少しも違いがないので、またここに図示しました。

    2,お手本は一部分を完璧にしてから次へすすむ

    御手本おてほん一段一段御習いあるべき事)
    お手本は、一段一段お習いにならねばならないということ

    御本ごほん一巻を、一度に首尾を習わせ給う御事はあるべからず候。まず詩一、二首などを、取り返し取り返し数へん数日御稽古そうらいて、御本の面影おもかげさわさわと御心に浮かみて、そらに遊ばされ候も、相違無き候程になりてのち、次第に奥を御習いあるべし。)
    お手本一巻を、始めから終わりまで一度に通して習うようなことをなさってはいけません。まず、詩の一首か二首程度を、数日間何回もくり返しくり返しお稽古なされ、お手本の筆遣いや形が明らかにはっきりと心の中に浮かんで、ご覧にならなくても手本通りに書けるようになってから、だんだんとそのあとの方もお習いなさい。

    (初めよりよく稽古し候いぬれば、後にはそれ程に功も入れわねども、易く相似候うなり。)
    はじめうちからこのようにお稽古をしていますと、後には、それ程練習を積まなくても、容易にお手本に似てまいります。

    3,字の大きさについて

    (字の勢分せいぶんの事)
    字の大きさについて

    (初心の程は、本よりもことの外に、大に書かれそうろう事にでそうろう。ただ、手本の文字程に習い候うなり。)
    初歩のうちは、お手本よりも意外に大きく書いてしまうものです。ただひたすら手本の文字の大きさになるように習います。

    (また、いかにも、本よりは大にて筆細くなり候う事にて候。これが悪しく候。)
    また、手本より文字は大きくなって、点画すなわち線は細めになってしまうものです。これが良くありません。

    (字の勢、大に候わば、筆の太さも、本より太くてこそ相応すべく候え。)
    文字の形が大きくなれば、点画の太さもお手本より太くなってこそ似合うのです。

    (所詮、字の勢も筆の太さも、本に違うべからず候うなり。本より、いささか見勝り候う苦しからず候。本より小さくは遊ばすべからず候なり。)
    結局、字の大きさも線の太さも、手本に違ってはなりません。手本よりも少し大きく見えるのは差し支えありません。手本より小さく書いてはなりません。

    4,筆遣いは大切である

    筆仕ふでづか肝要かんようたる事)
    筆遣ふでづかいは大切であるということ

    (紙上に字を成し候う事は、能筆のうひつも非能筆も、同じ事にて候えども、筆仕いによりて、善悪相分かれ候なり。)
    紙の上に文字を書くことは、能筆の方でも非能筆の方でも同じですけれども、筆づかいによって、良い書であるか、わるい書であるかにわかれるのです。

    (その筆仕いの様は、古筆こひつをよく上覧じょうらんそうらいて御心おこころ有るべく候。)
    その筆遣いの方法は、古筆をよくご覧になって会得えとくしてください。

    (それにつき、なお御不審の事候わば、仰せ下され、申し入れるべく候。)
    それでもなお、古筆の筆遣いに疑問がおありでしたら、お尋ねくださればお答えいたします。

    (所詮、手本を習い候うについて、字形と筆仕いと、よく習い候う人は、一致にして相違無く候。)
    結局、習い方の良い人は、字形と筆遣いに矛盾が見られず、両者にずれがありません。

    (悪しく習い候う人は、文字の姿を似せんとし候えば、その姿は似候えども、筆勢を写し得ず候えば、精霊無きがごとくに候うなり。これは、いたずら物にて候。)
    習い方が悪い人は、文字の形を似せようとするので、その形は似ますが、筆勢を表現することができないので、気力がないようなものです。これは、形は似ているがつまらないものです。

    (仮令、字形は人の容貌ようぼう、筆勢は人の心操しんそう行跡ぎょうせきにて候。所詮諸道の習字は、心の上の所作しょさにて候う間、よく古賢こけんの心に基づきて、その道を学び候えば、自然にみょうを得候うなり。)
    例えば、文字の形は人の顔かたちであり、筆勢は人の心の動きとか行いのようなものです。結局、いろいろな道の学習は、心に関する行為ですから、昔の賢人の心にもとづいて、よくその道を学べば、自然に優れてまいります。

    屈曲横堅くきょくおうじゅの点、一々に自由に任せず、先哲せんてつの行跡に従いて、筆を下し候えば、おのずから通達し候うなり。)
    折れ・曲がり・横・縦について一つ一つを気ままにせず、先人の残した学習方法に従って筆を下ろしますと、自然に熟達してまいります。

    御稽古おけいこの始めは、相構あいかまえて御筆を静かに、よくよくしっして遊ばさるべく候。御通達の後は、御筆に任せられ候うも、筆法に違すべからず候。)
    お稽古の初めは、居ずまいを正し、筆を静かに運び、よくよく心をこめて練習をなさいませ。ご熟達になった後は、筆に任せてお書きになっても、筆法から外れることはありません。

    (孔子の言葉に、「七十にして心の欲する所に従えども、のりえず。」と申し候もこれにて候。)
    孔子こうしの言葉に、「七十になって、心のままに行動しても法度を越えない。」とあるのもこのことです。

    御手跡おんしゅせきの御稽古も、これをもてとすべく候うなり。)
    書道のお稽古も、筆遣いをもっとも重要なこととしています。

    5,昔の人の筆遣いについて

    古賢こけん筆仕ふでづかいの事)
    古賢の筆遣いのこと

    (この事、古筆を開きて、御心得おこころえあるべきよし載せそうらいおわんぬ。)
    このことは、古筆をご覧になって会得なさいますようにと前の条で述べておきました。

    ことばを以て述べ難く候。筆を以て記し難きの故なり。ただ、細々しばしば眤近じっこんもかなうべからざる上は、きと申しひらき難くそうろう。)
    筆遣いは、言葉で言い難いのです。文字に書き表し難いのです。直接頻繁ひんぱんに、親しくお目にかかることもできないので、はっきりと説明申し上げることが難しいのです。

    (然ればまたこの一か条はことに肝要なり。)
    それであるからこそまた、この一か条「古賢の筆遣いを会得すること」は重要でございます。

    (誠に筆語の及ぶ所までは、書き述べる候うなり。)
    誠に、文章で説明できる限りの所までは、書き記しましょう。

    (古賢能書の、筆つかい様は、いずくにも精霊有りて弱き所無し。筆を立て始めるより、引き果てつる処、点ごとに心を入れて、あだなる所無く書くべきなり。)
    古の能書すなわち優れた書家たちの筆遣いは、すみずみまで気力がこもっていて、弱いところがありません。起筆から終筆まで、どの点画にも心を集中し、気の抜いた所がないように書くものです。

    能書のうしょは、筆を打ち立てる所、終わる点、折り候う所、跳ねる所、かくのごときの処々に心を留めて、精を入れ候うなり。)
    書に優れた人たちは、起筆のところ、終筆のところ、転折のところ、はねるところ、このような節々に注意して、気を込めて書きます。

    (非能書の書きたる物は、木などを折りかけたる様にて、用の無きなり。)
    能書でない人たちの書いたものは、木などを折り曲げたようで、筆の働きが生き生きとしません。

    (所詮は、一点を下すごとに、その心を思えば、あだなる点あるべからず。一点もあだなる所あれば、一字皆悪く見ゆ。まして一時を心を止めずば、さながらいたずら物なり。)
    結局、一つの点画を書くごとに、その点画に寄せる優れた書家たちの心づかいを考えると、いいかげんな点などがあってはなりません。一つの所でもいいかげんな所があると、一字全体が悪く見えます。一字全体を不注意に書いてしまうと、全体がいい加減なものになってしまいます。

    (広くこれを申し候わば、浮雲滝泉ふうんろうせいせい龍蛇りゅうだ宛転えんてんたる姿、老松の屈曲せる木立ち、これ等然しながら手本なり。古賢の筆仕いただこれにて候。羲之が用筆の図にかように引き枯らして候う点を、万歳ばんざい枯藤ことうと申して候。)
    ひろくこれを外の例にたとえますと、浮雲ふうん滝泉ろうせんを思わせる横画の形、龍やへびのうねるとめぐる姿を連想させる曲線、老松の曲がりくねった木立にみえる縦画の形などの自然の姿がそのまま手本になります。古の能書たちの筆遣いは、ただ自然を手本としたのです。王羲之の用筆の図に、今述べてきたような筆遣いで書いて老木を思わせる線を、万歳の枯藤と申しております。

    (これにて候。御心得有るべく候。)
    筆勢が生きているとは、これらのことです。ご会得ください。

    (所詮、能筆の手跡は、生きたる物にて候。精霊魂魄せいれんこんぱくの入りたる様に見え候うなり。)
    つまり能書の筆跡は生き生きとして生物のようです。心や魂の入っているもののように見えます。

    (さ候えば、字勢じせいぶんよりも大に見え候。これは用を具足ぐそくしたる故にて候うなり。)
    ですから、字の大きさは実際の大きさよりも大きく見えます。これは、筆の働きが十分にそなわっているからでございます。

    6,邪僻を離れて、正しい姿をひたすら追い求めるべき

    邪僻じゃへきを離れて、正しき姿を専らにすべき事)
    邪僻を離れて、正しい姿をひたすら追い求めるべきこと

    (この道を知らず、口伝を受けずして、なまじいに道にふけるともがら、多く正路にかなわず、必ず邪僻じゃへきを起こすなり。)
    昔の優れた書家たちの筆遣いの方法を知らず、口伝を受けず、どっちつかずの態度で書の道にたずさわっている者は、多くの場合、正しい道からはずれて必ずよこしまなかたよった心を起こします。

    (古筆を見ても、極めてなびやかに美しき所をば習わずして、達者の筆勢を振い、眼前の風流たる所の目遠き様を、請い願いて写さんとするなり。返す返す説くべかざる事なり。)
    古筆を見ても、極めて自然でおだやかな美しい所を学ばずに、上手な振りをして威勢の良い筆遣いをし、一寸見ると華やかに見える工夫をこらした目新しさを求めて書き写そうとするのです。この道の真意は、どうしても言葉では言い表せないところです。

    (そのくらいに至りぬる上の所作しょさは、ともかくも自在なり。何と書きたるも殊勝しゅしょうなり。)
    能書の位置に到達してしまってからの書きようは、いずれにせよ思いのままです。どのように書いても優れた文字です。

    (これを悪しく習いそうらえば、正しき所をば写し得ぬままに、きと目にたつ所を似せ候う事、極めて悪く候うなり。)
    これを正しい道からはずれた習い方をしますと、正しい書法を習得することができないで、一見して目立つところを似せるだけとなってしまい、極めて悪くなるのです。

    (ただいささかも異途に目を掛けずして、一筋に正路に従いて、正しき所を習い書き候えば、その筆に達し候いぬる後は、彼の自在無窮じざいむきゅうの体も、心に任せて書かれ候うなり。)
    異様な書法に目を向けないで、ひたすら一筋に正しい道に従って、正しい基本を習いますと、その筆遣いに熟練しますが、そのあとは古筆優れたの自由で伸び伸びとした姿も、心のままに書くことができるようになります。

    曲折風流きょくせつふうりゅうを本とし候えば、更に風流曲折も、うるわしく写されず候。)
    目先がちょっと変わっただけの趣を基本としますと、本当に正しく美しい趣としての変化も、美しく書き写すことができません。

    (見知らず候う人は、其の体ばかりを浅く見なして、相似たりと見候えども、道を知りたる眼の前にはあらぬ物にて候うなり。)
    見て分からない人すなわち鑑識眼のない人は、その見えた姿だけを単純に似ていると見ますけれども、書の道の本質をわかっている人の鑑識眼から見れば、似ても似つかないものです。

    (美しからんとて、筆をつくろいて、わななき書きたれども、弱くかわゆげにこそ候え、一切美しくは見えず候。また、強からんとて、筆を紙に強く当て、筆を悪しく仕い候えば、ただ狼籍うぜきれたる物にて候。更に強き所無く候うなり。)
    美しく書こうとして、筆を整えてふるえるほど懸命に書いても、か弱く、見るに堪えないもので、まったく美しくは見えません。また、強く見せようとして筆を紙に強く当てるのですが、筆を下手に使うので、ただ乱暴で乱れたものになります。さっぱり強いところがありません。

    (かくのごとき事を、外道の邪見じゃけんなどは申し候。道の魔障ましょうにて候。)
    このようなことを、「外道の邪見」すなわち「正しい道以外のことに従うよこしまな考え」などと申します。これは正しい書の道のためには障害です。

    (この事に限らず、この道その実を申し候えば、仏法のさとりより起こりて、世俗せぞくの技芸に出で候いては、管絃かんげん音曲おんきょく、詩歌、何れも何れも、もろもろの道の邪正じゃせいこれにて候。)
    書道に限らず、芸道は、実は仏法の悟りから起こったものです。仏法の悟りから起こって、世間の技芸などのようなものに出現しては、管絃、音曲、詩歌などとなり、どれもこれも、諸芸術での邪僻じゃへきと正路が現れるのはこのことです。

    用捨ようしゃあるべく候。一切の事、その理二は候わず、その悟りに一にて候。されば、万法ばんぽうさながら実相じっそうの一理にて候なり。)
    何を本質とするのか、よろしく取捨選択ください。全ての事に、二つの道理はありません。そのさとりは一つです。だかた、あらゆるものは外にあらわれてはいろいろな形をとるけれども、その真実のすがたは宇宙の本体という一つのものに帰するという仏法の思想と通じます。

    (この二か条、ことに詮要にて候。よくよく御心得有るべく候。)
    第五条と第六条の二か条は、とても重要です。よくお心掛けください。

    7,異様の字を好んではならない

    異様いようの事を好むべからざる事)
    異様のことを好んではならないこと

    (初心の時、器量ある人、左字・倒れ字・うつぼ字等、筆に任せて書きそうろう事、世に興有りてうらやましく覚え候うなり。)
    初歩のころは、腕前のある人が、左字ひだりじ(左手で書いた裏返しの文字・倒れ字(狂草きょうそう)・うつぼ字(割れた筆で点画の中を空にするように書いた文字)などを、筆にまかせて書くのを見て、たいそう趣があるとうらやましく思うものです。

    (従いて、これを書くに、その骨あれば、人もこの事をもてなし、我も興に乗るの程に、一向これが正宗せいそうになりて、本体の稽古は次になり、返す返す斟酌しんしゃくすべし。)
    したがって、そのような字を書く才能があれば、世間の人もこれをもてはやし、自分自身も興趣にのってしまって、まるでそれが本筋のようになり、本来の稽古は二の次になってしまうので、よくよくそのようなことは差し控えてください。

    (かかる事を好む人の手跡は、さほどの事を書きたるは、さように見ゆれども、極信ごんしんなる清書は、いかにもひが事書きたるには、劣りなり。)
    このようなことを好む人の筆跡は、ちょっとしたものを書いたときは、一応立派そうに見えるが、厳格なものを書いた清書などはどうしても自分の力の劣ったのが現れます。

    (甚だ本意無きなり。)
    これははなはだ残念なことです。

    (これを好み用いるは、易き事なり。)
    これらの異様なことを好んで用いるのは容易なことです。

    (ただ幾度も、うるはしく正しく書く事、大事なり。)
    けれども、ただひたすら何度も美しく正しく書くことが大事なことです。

    (大道は遠くしてしたがい難く、邪径じゃけいは近くして踏み易く覚え、ことに器量の人のありぬべき事なり。よくよく謹慎きんしんすべきなり。)
    入木の正しい道は遠く、また追い求め難く、よこしまな道は近く歩みやすく感じ、そういう意味で才能のある人のあってはならないことです。ようよく慎まねばなりません。

    (弘法大師は、大唐だいとうにて左右の手足、並びに口に筆を差し挟みて、五行の字を一度に書きて、五筆和尚ごひつおしょうの名を得たり。)
    弘法大師こうぼうだいし(空海)は、唐の国で、左右の手足、および口に筆をはさんで、五行の文字を一度に書き、五筆和尚ごひつおしょうの名を得ました。

    (日本にては、応天門おうてんもんの額を門上に掛けて後、応字おうじの上の円点えんてんを下より投げ加えられたり。)
    日本に帰ってきて、応天門の額を書きましたが、門の上に揚げて後、応の一画目の点の書くのを忘れたことに気づき、下から筆を投げ上げて書き加えました。

    大権だいごん垂跡すいじゃくなり。入木じゅぼくの達者なり。)
    仏様が仮に日本の地においでになって人間の姿になられたのです。大師は書道の達人であります。

    (たとい権者ごんじゃに非ず候うとも、大師ほどの能筆のうひつならば、いかで不思議を現ぜざらむ。たとい能筆の達者ならずとも、権者現化げんげとして、自余の不思議多く候えばもちろんなり。)
    たとえ仏様でははなかったとしても、弘法大師ほどの能筆であれば、どうして先に紹介した不思議な逸話いつわを実現しえないでしょう。実現できるのです。反対に、たとえ優れた書の達人でなくても、人間界に現れた仏様として、この逸話のほかにも不思議な逸話が多いので、書についての不思議な逸話も実現しうることはいうまでもありません。

    今人末代こんじんまつだいに及びて、かくのごときの跡を心に掛くべからず候うか。)
    現在の人は、後世に生まれて、このような不思議な事跡を、きもに銘じなければなりません。

    (大文字など時々書き候う興有る事なり。また字の勢も出来、かつまた、壁字等には、御用の事も有るべく候。)
    大きな文字などを時々書くのは、興味がわいてよろしいことです。また、それによって筆の勢いも出てきますし、それにまた、壁字へきじなどを書かれるご用もおありでしょうから、好都合なことです。

    8,楷書・行書・草書について

    しんぎょうそう字の事)
    楷書・行書・草書のこと

    (まず行字を御習おならいいあるべくそうろう。行は中庸ちゅうようの故なり。)
    まず、行書をお習いになるべきです。行書は楷書と草書の中間の書体だからです。

    (点を略さずして、筆体を行に書きたるは行の真なり。)
    点画を簡略化しないで、字体を行書風に書いたのは「行の真」です。

    (点を略し、草の字作りをも書き交じえて、行に筆を仕いたるは行の草なり。)
    点画を簡略化して、草書の字体をも書きまぜて、行書風に書いたのは「行の草」です。

    (すなわち、通用稽古のためよろしきなり。)
    すなわち、行書の用筆は楷書にも草書にも通用し、稽古する上では都合がよいのです。

    (いささか行の字を習い得て後、草をも真をも学ぶべきなり。真は行・草に通ぜず、草また真・行に通ぜず候うなり。)
    はじめに行書をある程度習ったあと、草書を、または楷書をも学ぶべきです。楷書の用筆は、そのまますぐには行書・草書に通用しませんし、草書の用筆はまた、直ちに楷書・行書に通用しません。

    (真は一々の点を引き放ちてこれを書く。草は点も字も連続して兼ねたる体なり。)
    楷書は一画一画をつづけないで引き離して書きます。草書は点画も文字も連続して書き、あるいは二つの文字を一つに兼ね合わせるようにして書く書体です。

    9,お稽古の進歩の度合いが表れる

    (御稽古の分限ぶんげん露顕ろけんすべき事)
    お稽古の進歩の度合いが表れること

    (五日十日などに一度、御本の字をそらによくよくしっして遊ばされ候いて、月日を書き付けられて置かるべし。後々ご覧合せられ候わば、勝劣しょうれつ分明ぶんめいなるべく候。)
    五日とか十日ごとに一度くらい、お手本の字をご覧にならないで書けるように熱心に練習なされ、その月日を書きつけておきなさい。後日、ご覧になれば、その文字の良し悪しがはっきりといたします。

    (かつは、未熟の所をも、よくよく御覧定せられ候いて直され候えば、次第に御意のごとくなるべく候うなり。)
    その上、下手な所もよくよく見極めて、ご自分で直されますと、次第に意図にそった文字が書けるようになるでしょう。

    (またさように取り置かれ候わんを、細々に下し給い候いて、所存を申し上ぐべく候。)
    また、そのようにして置かれたのを、一つ一つ私の方におよこし下されば、それについてのご批評を申し上げます。

    10,稽古の間、調子のいいときと悪いときがある

    (稽古の間、善悪常に相交わる事)
    稽古をしている間に、常に善悪が起こってくること

    (初心の時は、手習いをし候えば、にわかに筆も詰まり、字形も本に似ず、およそ不思議の事必ず必ず出で来候。)
    初歩のうちは、手習いを致しますと、急に筆が渋滞し、字形も手本に似なくなります。必ず思ったように書けなくなるものです。

    (この時、ものぐさく成りて、退屈の所存起こり候うなり。それに目を掛けずして、ただ同じ様に稽古候えな、四、五日ないし十日こと候え、またよくなり候。今度は、以前によく書き候うように覚え候いつるよりも、なお優れ候うなり。)
    その時に、なんとなくいやになり、おこたりの心が起こります。そのようなことに目もくれずに、ただ、同じように稽古を続けますと、四、五日から十日ぐらいたつとよくなります。そうなると、今度は以前によく書けたように思ったものよりも、さらに優れた文字が書けます。

    (かくのごとき数遍に及び候。)
    このような状態を何回か繰り返して上手になるものです。

    (初心の程は、更に断絶せざる事なり。やがて一段一段かさの上がる体にて候うなり。)
    初心のうちは、それに加えて休まないことです。「繰り返す」「休まない」という事を心掛けていると、そのうちに一段一段と腕前が上がっていくものです。

    11,お稽古の時間について

    (御稽古の時分の事)
    お稽古の時機のこと

    (毎日一時二時など、しばらく御沙汰あるべく候。)
    習い始めた当分の間は、稽古の時間を、毎日一時とか二時とかお定めください。

    (およそ万機御会計、他事御稽古差し置かるべきにあらず候。これをもって本とせらるべからざるの条、もちろんただ時折有るべく候。)
    およそ、政治上のことで取り込むことがおありでしょうが、政治以外のこととしてお稽古を後回しにしてはなりません。お稽古を天皇の本務とすべきでないことはもちろんですが、ただお稽古には時機があるのです。

    (ただし諸道稽古の法、しばらく励みて功を入れ候わねば、成り難く候うなり。一、二年、せめては二、三百日も、まずいささが火急に御沙汰然るべく候。)
    一般に、諸芸道の稽古の方法として、ある期間は励んで練習を積まなければ大成し難いものなのです。まず一、二年、せめて二、三百日ぐらいでも、まず少しばかり取り急ぎ計画をお定めになることがよいのです。

    (それそののちようように御沙汰、相違あるべからず候なり。)
    そのようにして、基礎の力がついたならば、そのあとは稽古の時間をいろいろにお定めになっても間違いはありません。

    12,手本を選ぶこと

    (手本用捨の事)
    手本を選ぶこと

    (三賢等の筆なればとて、初心の人、先達に談せずして、この本面白し、彼の字興有りとて習うも、時に従い筆仕い同じからず候。)
    三賢さんけん三跡さんせきのこと)すなわち小野道風・藤原佐理・藤原行成の筆跡だからといって、手本とするについて注意しなければならないことがあります。初歩の人が、先生に相談せずに三賢のこの手本はおもしろい、この字は興味があるとかいって習っても、上達するとは限りません。三賢の立派なしょでも、時によって筆遣いは同じではありません。

    (何としても書きいだし候えば、殊勝の物にて候えども、手本のため、これを習うべき風体も候。)
    何はともあれ、達人の書として書かれているものであるので、すばらしいのですが、お手本として習わねばならない書風もあります。

    (初心の人、これを習うべからず候う筆体も候うなり。)
    初歩の人では習ってはならない筆体もあります。

    13,手本が多いのは大切である

    (手本多き大切の事)
    手本が多いのは、大切であるということ

    (多本歴覧れきらん大切の事に候。)
    多くの手本をご覧になるのは大切なことです。

    (御稽古は、御本を定められ候いて、数本を御覧候えば、御才学になるべく候うなり。)
    お稽古には、多くの手本のなかからどれか一つの手本をお決めになって、それを基本として習い、その他に数種類のお手本をご覧になって参考にいたしますと勉強になるでしょう。

    14,現代は手紙を手本とすることが多いが、そうするべきではない

    当世とうせい多く消息しょうそくを手本とす。然るべからざる事)
    現代は手紙を手本とすることが多いが、そうするべきでないこと

    (近日手本所望のともがら、多分は消息なり。)
    近ごろ、手本を欲しがる人たちは、多くは手紙です。

    (所存にたがうといえども、人の所望に従いて、多くもって書き与うるものなり。これしかしながら、案内を知らざる人の所為には、一おうまた、かくの如き道理にて候。)
    私の考えに反してはおりますが、人の求めに応じて、多くの場合は書き与えております。これはしかし、手習いのあり方を知らない人のすることとしては、一応はこうするのももっともなことです。

    (かのともがらが意に思う様を察し存じ候うに、能書に成りて手本をも書き、色紙形しきしがた諷誦ふうじゅ願文がんもんをも清書せん事は不審なり。)
    そのような人々の考えを推察いたしますと、書の達人となって手本を書いたり、色紙型、諷誦ふうじゅ文、願文などをも清書しようというようなことは考えていないようです。

    (ただ指し当たりて、消息一通、なだらかに書きたらんに足るとなすべし。すなわち、消息を習うべしと存じ候うか。)
    ただ、さしあたって、手紙を一通さらさらと書くことで十分としているのでしょう。だから手紙だけを習えばよいのだと思っているのでしょうか。

    (この条、ひとえに道を知らざる故なり。)
    このようなことになるのは、まったく書の道を知らないのが原因です。

    (まずこの道をばいかに意得、我が器量をばいかに存じて、みだりにその法を定めて、分斉ぶんさいを置くべきぞや。)
    まず、この入木道をどのように心得、自分の才能はどの程度であるかを理解して稽古をするべきで、勝手気ままに習い方を決めて、それに自分を合わせるべきではないのです。

    (一切の事、稽古の道の、更にその際限なき事なり。)
    すべて稽古の道は、行きつく果ての無いほど奥深いものです。

    (仏法を学するも、大師先徳の已証いしょうを探り、仏知仏見を悟り極めむと学び候えば、更にその極め無き事にて候。)
    仏法を学ぶ者も、仏や有徳の先人の悟りの跡を探り、仏の奥深い知恵、通達した見識を悟り極めようと学びますので、更にその行きつく果ては無いのです。

    (世間の技法ぎげいに及びてまた同じかるべく候。)
    世間の技芸についてもまた同じでありましょう。

    (消息と申す物は、あながちに筆体をかいつくろわず、ただするすると書き下し候う間、古賢の筆も手本に成りぬべきは、希有の物にて候。まして当世の手跡、沙汰さたの外の事にて候。)
    手紙というものは必ずしも字形を整えず、たださらさらと書き下しますので、古賢の書いたものでも手本になるのは極めてまれです。まして、現代の人の筆跡は論外です。

    (しかるを、我は消息を習わむとて、能筆のうひつの書き捨てたる消息、拾い集めて習学候うは、更に消息をもなだらかに書き得ず候。)
    そうであるのに、「自分は手紙を習おう。」といって、達人の書き捨てた手紙を拾い集めて手習いをしていますが、そのようなことではさっぱり手紙さえもすらすらと書くことはできません。

    (まずいかにも道に志を深くして、清書の本を習い候わむに、数奇もすたれ、器量も及ばず候うは、さて止まり候うとも、さすがに一しきり習いて候わんに、功むなしかるべからず候えば、能書までならず候うとも、消息などは、見苦しからぬ程に書き候うべく候。)
    まずぜひともと、深く入木道に志して清書の基本を習いますと、たとえ書にせる心もおとろえ、才能も及ばなくなり、そこで腕前が止まったとしても、一時期盛んに習っていたので練習の積み重ねは無駄ではなく、達人にまではならなくでも、手紙などは見苦しくない程度に書くことができます。

    (初めより消息と出で立ち候わば、消息をも書き得ず候うなり。)
    初めから手紙を書くことを目標としてお稽古をしますと、手紙さえも書くことができなくなります。

    (太宗のことばに、「法を上に取る故に中となる。法を中に取る故に下たることを得。」ともうすこともこの心なり。)
    太宗たいそうの言葉に、「目標を上に置けば中ほどにとどまり、中に置けばせいぜい下程度にしか達しない。」とあるのもこの意味です。

    (手本とて往来など書くは、ただ書状などには似ず、いささか筆をかいつくろいてこそ書き候えども、それも消息にて候う間、いかにも清書の物には、筆仕いも違い候うなり。)
    手本として「往来物」などを書くのは、通常の手紙などとは違って、少しは筆を整えて書きますが、それも手紙ですので、どうしても清書の物に比べて筆遣いも違います。

    (さ候えば、上古の手本三賢等の筆は、皆文集の詩にて候。)
    ですから、昔の手本である三賢の書は、みな『白氏文集』の詩でございます。

    (消息を手本とて書きたるは、いたく見えず候うなり。)
    手紙を手本として書いたものは、ほとんど見られません。

    15,筆について

    (御筆の事)
    筆のこと

    (御手習いにも、良き筆よろしく候うなり。)
    お手習いの時にでも、良質の筆は良いものです。

    (御筆、手本の筆に相違し候えば、字形も似ず候。御手本に相応の筆よろしかるべく候なり。)
    お筆が手本と違っていますと、字の形も似ないものです。お手本にふさわしい筆がよろしいのです。

    (およそ筆を用いる事、料紙により候うなり。)
    一般に用いる筆は、料紙によって使い分けます。

    (打紙にはのうさぎの毛、ただの紙には鹿の毛にて候。壇紙まゆみがみには冬毛、杉原すぎはらには夏毛、あやにも夏毛。布には木筆、木筆は橇木そりきにてこれを作る。)
    打紙(打ちたたいてなめらかにした紙)にはうさぎの毛、普通の紙には鹿毛であります。壇紙まゆみがみ(厚手で白い)には冬毛、杉原紙(鎌倉時代、播磨国杉原で造られた紙)には夏毛、あや(綾織物)にも夏毛、布には木筆、木筆は橇木そりきで作ります。

    (上古は多く夏毛を用う。一切に通用し候。)
    昔は多くの場合夏毛を用いていました。すべての料紙に通じて使えるからです。

    (昔の夏毛は殊勝に候いき。当世の夏毛悪く成りて、先も候わずいたずら物なり。)
    昔の夏毛は優れていました。現在の夏毛は悪くなり、毛先もよく利かずつまらないものです。

    (すなわち、杉原の外はただうさぎの毛を通用よろしく候うなり。)
    すなわち、杉原紙のほかはすべてうさぎの毛を通用させてよろしい。

    (大方筆の毛も悪ろく、筆人も候わず候う間、当世は吉き筆候わず候うなり。)
    総じて筆の毛も悪く、優れた筆匠もいないので、現在は良い筆はございません。

    16,墨について

    (墨の事)
    墨のこと

    (御稽古には、藤代墨相違あるべからず。)
    お稽古には、藤代墨を使えば間違いありません。

    (唐墨当時希有に候うか。)
    唐墨は、現在滅多にないようです。

    (御手習いに枝葉に候うや。)
    お手習いに唐墨が良いというのは枝葉末節です。

    (唐墨をも悪しく置き候えば、やがて損じ候。包まずして、塗り物に入れ候いて、常に拭い候。)
    いくら良い唐墨でも、取り扱いが悪ければすぐにでも痛みます。包まずに塗り物に入れておき、使い終わったら常によく拭くようにします。

    (最上の秘事なり。)
    これは最上の秘事です。

    17,料紙について

    (料紙の事)
    料紙のこと

    (細々の御手習い、檀紙相違無きか。)
    こまごまとしたお手習いには、檀紙がよろしい。

    (真のものは、打紙よく候うなり。)
    楷書には打紙が適当です。

    (およそ常に何をも用いらるべく候。)
    普通には、常にどのような料紙でもお使いください。

    (初心の時は、常に書き付け候わぬ紙には、書きにくく候う間、調練のためには、何紙にも書き候うなり。)
    初歩の時には、常に書き慣れていない紙には、書きにくいものなので、訓練のためには、どのような紙にでも書かねばなりません。

    18,入木道の一流

    入木道じゅもくどうの一流、本朝ほんちょう異朝いちょうに超えたる事)
    日本の入木道の一つの流れは、中国よりも優れていること

    弘法大師こうぼうだいし入唐の時、王宮の壁字、王羲之おうぎし筆の一間いっけん破損す。其のじん無きによりこれをく。)
    弘法大師がとうの国に行ったころ、王羲之が書いたという王宮の壁字の一間ひとまが破損し、それを書くことのできる人がいなかったので、破損したままになっていました。それを弘法大師が天子の勅を奉じて書きましたが、それはしん代より唐朝に至るまで、永い間絶えていた書の道を弘法大師が再興されたのです。

    (大師ちょくを奉じて書けるは、しん代より唐朝に至るまで、久しく絶えたる道をおこされし上に、また道風とうふうが申し文にも、万里ばんり波濤はとうを隔てて名を唐国にはすと書きたり。文時ふんとき匡衡まさひら等が文にもこの詞を載せざるか。)
    その上に、また、道風の申し文にも、「万里ばんり波濤はとうのかなたの唐国にまで書名をせた。」と書いてあります。文時ふんとき匡衡まさひらなどが書いた文章にも、このことを書いているようです。

    (測り知りぬ、この道本朝に抜群の人多しという事を。)
    これにより、入木道は日本に抜群に優れた人が多いということが推測できます。

    (これによりて諸道、唐朝の風を移すといえども、手跡の事は、唐書の説、あながちに、この口伝の外他説を用いず候。)
    この事実によって考えてみますと、書道以外の諸芸道は、唐朝の習わしを移しているのですけれども、書道に関しては中国の書物の言うところをそのまま用いてはおりません。この口伝すなわち世尊寺流せそんじりゅう以外の他の説は用いていないのです。

    (従い候いて、近来そう朝の筆体は多分神妙しんみょうにあらず候。)
    近ごろ宋朝の書風が伝わり流行していますが、その多くはよろしくありません。

    (当世文学のともがら、宋朝の筆体を摸する間、あるいは懐紙かいし、あるいは綸旨りんじ院宣いんぜんにすこぶる異体しかるべからざる事に候うなり。)
    現在学問をしている人々は、宋朝の書風をまねているので、懐紙かいしとか綸旨りんじ院宣いんぜんとかに、たいそう変わった書風が見られますが、よろしくありません。

    (また「きゅうは旧、は虍」かくのごときの約束の抄物字しょうもつじは用い難き事なり。聖教しょうぎょうにも、かくのごとき抄物字多し。「菩薩ぼさつは▯、菩提ぼだいは▯」等なり。しかりしこうして抄物の外は書かざるなり。)
    また、「きゅうは旧、は虍」のような約束の抄物字しょうもつじ(点画を省略した文字)を用いてはなりません。仏典にも、このような抄物字が多くみられます。「菩薩ぼさつは▯、菩提ぼだいは▯」などです。けれども、抄物の外には書いておりません。

    (本朝は、つねに事跡を追いて国風を失わざるなり。)
    日本では、常に過去の事跡を受け継いで、国風を失いません。

    (異朝はしからず。)
    中国は違います。

    (先代の旧風を改めて、当世の風俗を流布せしむるなり。すなわち、筆体も皆改むるなり。すずりの作り様にも古今の事異なるなり。)
    前代の旧風を改めて、新しい時代の風俗を広めさせます。もちろん書風もみな改めます。硯の作り方でも、昔と今とでは違います。

    (本朝は、魚養なかい薬師寺やくしじがくを書く。これ能書を用いる最初なり。一筆に書き候由申し伝えられども、今これを見るに趁字ちんじのごとし。まことに不可説の体なり。)
    日本では、朝野魚養あさのなかいが薬師寺の額を書きましたが、これは朝廷が公事に能書を登用した初めです。一筆で書いたと伝えていますが、今これを見ると後の世尊寺せそんじの流れと合う字です。誠に言葉で言い表せないほどすばらしい書体です。

    (この筆体もただ皇后こうごう中将姫ちゅうじょうひめ当麻の曼陀羅感得の人なり弘法大師こうぼうだいし嵯峨天皇さがてんのう橘逸勢たちばなのはやなり敏行としゆき美材よしき等までおおむね一体なり。)
    その日本におけるすばらしい書風も、まったく光明こうみょう皇后こうごう中将姫ちゅうじょうひめ(当麻寺の曼陀羅を感得した人)、弘法大師こうぼうだいし嵯峨天皇さがてんのう橘逸勢たちばなのはやなり、藤原敏行としゆき、小野美材よしきなどまで、大体は同じ書風なのです。

    (筆は次第に倒れたるように成るなり。)
    筆はだんだんと倒れたようになっていきました

    (そののち聖廟せいびょう抜群ばつぐんなり。聖廟以後野道風やとうふう相続す。この両賢は、筆体相似たり。)
    その後は、菅原道真すがわらのみちざねは抜きんでております。菅原道真の後は、小野道風おののとうふうが受け継ぎました。この二人は書風が似ています。

    佐理さり行成こうぜいは、道風とうふうが体を移し来たる。)
    藤原佐理ふじわらのすけまさ藤原行成ふじわらのゆきなりは、小野道風の書風を受け継いできました。

    野跡やせき佐跡させき権跡ごんせき、この三賢さんけんを末代の今に至るまで、この道の規摸として好む事、面々かの遺風を摸するなり。)
    野跡(道風)・佐跡(佐理)・権跡(行成)、この三賢は、後の世の現代にいたるまで、入木道の規範として好まれていますが、それは、三賢のそれぞれが古代の遺風を伝えているからです。

    (すなわち本朝の風は、相替らざる者なり。)
    このように日本の書風は、昔から変わっていないからなのです。

    19,日本では書体は一つですが、時代によって書風がはっきりしている

    (本朝は一体なれども、時代に付いて筆体ひったい分明ぶんめいの事)
    日本では書体は一つですが、時代によって書風がはっきりしていること

    (弘法大師前後の程の手跡、大略一様なり。道風とうふう以後また、各々野跡やせきの風なり。)
    弘法大師こうぼうだいし前後のころの書風は、だいたい一様です。小野道風以後は、またそれぞれ道風の書風です。

    行成卿こうぜいきょうは、道風が跡をすといえども、いささか我が様を書き出せり。その後一条院いちじょういん御代みよよりこのかた、白川しらかわ鳥羽とばの時代まで、能書、非能書も皆行成卿が風体なり。)
    行成卿は、小野道風右の書風にならっていますが、わずかながら個性を発揮しています。その後、一条天皇の御代より以降、白河天皇・鳥羽天皇の御代まで、能書も非能書も皆行成卿の書風です。

    (法性寺関白出現の後、天下一向この様に成りて、後白川院ごしらかわいん以来時分かくのごとし。あまつさえ後京極摂政相続の間、いよいよこの風盛りなり。後嵯峨院ごさがいんころまでもこの体なり。)
    法性寺ほっしょうじ関白かんぱく忠通ただみちが現れてから、天下はことごとく法性寺様の書風となり、後白河天皇以来、しばらくの期間その書風でした。その上、後京極ごきょうごく摂政せっしょう良経よしつねが法性寺様を受け継いで、ますます法性寺様の書風が盛んとなりました。後嵯峨天皇のころまでも、法性寺様の書風でした

    (その間に弘誓院入道大納言等、いささかまた体替りて、人多く好みて用いるか。およそは法性寺関白の余風なり。)
    その間に、弘誓院ぐぜいいん入道大納言にゅうどうだいなごん教家のりいえなどは、いささかまたその書風に違いが出て、多くの人々が好んで習っていたようです。けれども大体は法性寺ほっしょうじ関白かんぱくの書風を受け継いでいました。

    (法性寺関白は、また権跡を摸するなり。)
    法性寺ほっしょうじ関白は、また、権跡ごんせきすなわち行成卿にならったのです。

    伏見院ふしみいんの御筆、近来盛りにこれを賞翫しょうがんたてまつる。なかんずく仮名かなは一向その様なり。この仮名も、法性寺関白以来、照念院しょうねんいん関白の筆体なり。これをされて、御天骨おてんこつにてあそばしいだされたるなり。真名まな佐跡させきを摸されしか。)
    伏見ふしみ天皇の御筆跡は、近ごろ盛んに御賞翫しょうがん申しあげております。それらの中で仮名はとりわけ行成卿の書風です。この仮名も、法性寺関白忠通以来、照念院関白兼平かねひらに伝わっている書風でもあります。それにならわれて、生まれついた才能により一つの風趣をお出しになられました。漢字は佐跡を模範となされたようです。

    (これ等次第に成り来たるよう御分別なされる事、次に申し出で候うなり。)
    これらのことが、次第に変化してきた様子をご理解いただくために、次の事を申し上げます。

    (体を改めず、ただ時代に従いて次第に替りたるように外儀見ゆれども、その実は全く同物なり。)
    国風という書の本質は変わっていません。ただ、時代にしたがって次第に変化したように外見は見えますけれども、その実質はまったく同じものであります。

    (更に異風を交えず、行能卿以来、今の行忠までことに同じ姿なり。)
    事新しく異国の書風を交えることなく、行能卿こうのうきょう以来今の行忠ゆきただまでまったく同じ姿です。

    (よくよく写し得たりと見候うなり。)
    よくよく受け継ぐことができたものです。

    20,能書を登用なされること

    (能書を用いらるる事)
    能書を登用なされること

    上古じょうこには、物を書き候えばとて、左右無く清書に筆を染めず。その道の先達せんだつにも許され、また朝家ちょうかにも用いられ、書役をも仰せられ候う程に成りて、能書とは申されけり。)
    昔は書に巧みだからといって、そういう理由だけで清書を書いてはおりません。書道の先輩にも認められ、朝廷からも登用され書役かきやくをも仰せ付けられるようになって、はじめて能書の名を得るのです。

    (また随分ずいぶん神妙しんみょうの手跡なれども、その時分なお勝たれる人あれば、それに押されて名望めいぼうなし。)
    また、とても優れた書き手ではありますが、同時代にその人より以上に優れた人があれば、その人に圧倒されて能書という名声は得られません。

    (これもこの故なり。)
    このような理由によって、次のような例も出てくるのです。

    (公任卿は殊勝なれども、行成卿抜群の同時たる故に、人も用いず。我も思いくたして書役を務めず。)
    それは、公任卿きんとうきょうは優れた方ではありましたが、同時代に行成卿こうぜいきょうがより優れていたので、人々からも能書として依頼されることもなく、自分自身でもあきらめて書役かきやくを務めませんでした。

    (それも定頼卿は、父には劣りたれども、その時に行成卿程の抜群の仁なければ、門殿の額以下書役にしたがい、その賞に預る。)
    そうであるのに、定頼卿さだよりきょうは父の公任卿には劣っていたけれども、同時代に行成卿ほどの優れた人がいなかったので、内裏の門や殿舎の額を書いたり、書役となったりして、賞を得ました。

    (これにてその意を得べき事か。)
    このような例で、能書を用いられることについての事情をおわかりいただけるでしょうか。

    (以上三か条は、御手習の要次にあらずといえども、次いでを似て注し申し候うなり。)
    以上、十八、十九、二十の三か条は、お手習いをなされる上で直接重要な事ではありませんが、ついでに記録いたしました。

    21,最後のまとめ

    (右の条々、初心御稽古の詮要せんよう大略たいりゃくかくのごとく候。)
    右の条項のとおり、初歩の方のお稽古をなさる要点は、おおよそこのようなものです。

    (そのほかの事は、御学習の間、御不審に付きて申し上ぐべく候うなり。)
    そのほかの事で、学習をなさっている間に疑問点が出てきましたらご説明申し上げます。

    (また、色紙形、ないし額等の事は、追って申し入れるべく候。)
    また、色紙形から始めて額などに至るまでのことなどは、そのうちにご説明申し上げましょう。

    (か様の事は、道の大事にて候えども、口伝を受け候いぬれば、おおよその入木の道を得候いぬる上には、中々易き事にて候。)
    このようなことは、この道の大事なことですが、すでに口伝くでんを受けていらっしゃいますから、おおよその入木道を体得なさっていらっしゃいますので全く優しいものです。

    (ただ返す返すも正路に打ち向きて、稽古を沙汰さた候う事が、第一難き事にて候うなり。)
    ひたすら、正しい道に向かってどう稽古を進めていくかをお決めになることが、第一の難しいことなのです。

  • 夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)について解説/内容を現代語訳で紹介

    夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)について解説/内容を現代語訳で紹介

    夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうは、世尊寺家せそんじけの6代目当主、藤原伊行ふじわらのこれゆきが著した、書道についての最も古い口伝書です。

    平安時代後期に作成されたのですが、これが日本において最も古い書論とされています。

    最も古いことから後世に与えた影響も大きく、日本において誰の筆跡をどのくらい尊重するべきなのか、夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうの中で挙げられている能書のうしょたちが尊重されるようになりました

    夜鶴庭訓抄について解説

    夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうは、世尊寺家せそんじけの6代目当主、藤原伊行ふじわらのこれゆき(?~1175)が著しました。

    世尊寺家せそんじけとは、平安時代に活躍した三跡さんせきの1人、藤原行成ふじわらのゆきなりの家系のことを指します。伊行これゆきはその6代目当主ということです。

    ではどうして藤原伊行これゆき夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうを作成したのでしょうか。

    それは、伊行これゆきの娘の建礼門院けんれいもんいん右京大夫うきょうのだいぶが宮中に当たって、伝統の名門に生まれた女性として恥ずかしくないようにとの心やりから世尊寺家の口伝を書き与えました。それが夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうということです。

    夜鶴庭訓抄の「夜鶴」とは、夜、巣ごもりする鶴。子を思う親の愛情をたとえていう語のことです。

    夜鶴庭訓抄の「庭訓」とは、家庭の教訓・家庭教育のことです。

    夜鶴庭訓の「」とは、書き写すことをいいます。

    これまで書道について語った文章はなかったため、この夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうが最古の口伝書として、書道にたずさわる人々にとっての座右の銘となりました。

    夜鶴庭訓抄の内容構成

    夜鶴庭訓抄は全部で24条に分けられているのですが、そのうち「序」以外の23条は「一、…」の箇条書きで書かれています。

    一条で短いものはわずか22、3字ですが、長いものだと350字ほどもあります。

    全文合わせると約5000字もあります。

    内容としては、書を揮毫する際の形式、作法について書かれており、筆づかいなどの書法の実技についてはあまり書かれていません。

    夜鶴庭訓抄が後世に与えた影響

    夜鶴庭訓抄は全部で24条に分けられていると紹介しましたが、とくにその第23条「内裏額書たる人々」がもっとも重要な部分です。

    ここに書かれている事跡、人名は、書道史年表の源流ともいえる大きな影響を与えたえました。

    つまり、それまで言い伝えられたり物語や歴史書などに挙げられたりしていた事跡・人名をここで初めて総括しているからです。

    これが夜鶴庭訓抄の存在の意義といえるのです。

    夜鶴庭訓抄の成立年代はわかっていない

    夜鶴庭訓抄の正確な成立年代は分かっていません。

    しかし、伊行の書名が残っている仁平3年(1153)から亡くなる安元元年(1175)の間、娘の右京大夫が成人した後と考えられています。

    ちなみに夜鶴庭訓抄やかくていきんしょうの原本は現存しておらず、現在伝わっているものはすべて室町・鎌倉時代に転写されたものです。

    夜鶴庭訓抄の内容を現代語訳で紹介

    夜鶴庭訓抄の内容を現代語訳で紹介します。

    とくに最後の方にある「能書たちの紹介」に注目してみてください。

    序 入木とは

    (入木とは、手書くを申す。)
    入木じゅぼくとは、手習いのことです。

    (この道をこそは、何事よりも伝うべけれ。)
    この入木の道こそは、他のどのような事よりも後世に伝えたいものです。

    (されど額、御願の扉、また異国の返牒、御表、色紙紙、願文など人書かすまじ。)
    けれども、額、御願ごがんの扉、また外国への返牒かえしじょう御表おんひょう色紙形しきしがた願文がんもんなどは重要なものなので人から書かせてもらえないでしょう。

    (それがしが子とて、内院うちいんより書けとも仰せあるまじ。)
    私の子だからといって朝廷や院より書けとも仰いだされることはないでしょう。

    (されど仮名は書くべきなり。)
    けれども仮名は書かせてもらう機会があります。

    (世に手書きにつかわれんじょう、御草紙などぞ給わりて書かんずる。)
    世間で能書としてもてはやされ、御草紙おんぞうしなど内院から下されて書くこともあるでしょう。

    (さはいえども仮名は道せばく、易き事なれば、好まんに、などか書かざるべき。)
    そうはいっても、仮名は用いられる範囲が狭く、たやすいので、手習いが好きな者にとっては、ぜひ練習をしておいた方がよいでしょう。

    草紙書く様(仮名の文章)

    (草紙書く様。)
    草紙を書く様式。

    (まずひき広ぐる端より書くべし。)
    まず広げ始めた端から書くようにしなさい。

    (普通には中より書くなり。)
    普通には、中から書きます。

    (家の習いにて端より書くなり。)
    世尊寺家せそんじけのしきたりとして端から書きます。

    (かくは知りたれど、多く中より書きたる事あり。)
    広げ始めてから書くものだとは知ってみても、多くの場合、中から書き始めることがあります。

    (それはぬしの好みにても、また思い誤りでも、また次々の人のは、とてもかくても、ていしゅうせぬなり。)
    それは依頼主の好みだったり、また思い誤りだったり、またその他いろいろな人のいらいがあるだろうけれども、それぞれしきたりにとらわれなくてもよろしいでしょう。

    (されどさるべき事とは知るべきなり。)
    けれども、原則は知っていなければなりません。

    (また、手の様々ようようを一帖がうちに見せて書かるべし。)
    また、文字の変化を一帖の中に見せて書くものです。

    (様々というのは、いろは書き、草乱れたる様替えて書くべし。)
    文字の変化というのは、仮名とか草仮名の散らした様子とかを、変化をもたせて書くことです。

    (それも人々多く草紙合わせなどにても、手書きあまたきおい書くに、片端かたつまありて書くなり。)
    それも人々は多くの場合、草紙合わせなどでも、能書の人々が大勢争って書きますが、ちょっと人を引きつけるような気どった書き方をします。

    (君の御造紙一部とあるものはどは、さは書くまじ。)
    建礼門院からの御造紙一部をあるものなどはそうは書かないでしょう。

    (麗わしくあるべし。)
    美しく書くものです。

    (物語は、手書き書かぬ事なり。)
    物語は能書の人は書かないようにしています。

    (人あつらうとも、とかくすべりて書くべからず。)
    人が頼んでも何とか言って辞退し、書いてはなりません。

    歌を書く様

    (歌を書く様。)
    歌を書く様式。

    (二行ならば、五七五、一行、七七、一行。)
    二行ならば五七五を一行、七七を一行。

    (三行ならば、五七、一行、五七、一行、七、一行まで三行にあるべし。)
    三行ならば五七を一行、五七を一行、七を一行とし、三行にするように。

    (ただ手だに美しくばなどいう事は、無下の事なり。)
    ただ文字さえ美しく書けばよい、などということは良くありません。

    (さればこそ道はいみじけれ。)
    ですから、入木の道は文字を書くだけのことではなく、いろいろな約束事があります。

    (それにとりては、三代集を書くに口伝あり。)
    その例として、三代集を書く口伝を述べましょう。

    (古今には題不知、読人不知。後撰には題不知、読人も。拾遺には題、読人不知と分かちて書くなり。)
    古今集では、「題不知 読人不知」、後選集では「題不知 読人も」、拾遺集では「題 読人不知」と区別して書きます。

    (また、先祖の大納言殿(行成)帥殿(伊房)三代集を書き給いたるに、躬恒が名を三常と多く書き給えり。)
    また、先祖の大納言殿、そつ殿が三代集をお書きになったのには、ほとんど「躬恒みつね」の名を「三常」とお書きになりました。

    (また、法師とある所を、法しと書かれたり。ようのある事なんめり。)
    また、「法師」とある所を「法し」と書かれています。きっと、様式のいわれがあるのでしょう。

    (その人の子孫などは、先祖のしたる事を学ぶべきなり。)
    世尊寺家の子孫として、先祖のしきたりを学びなさい。

    し、人もなんじ問う人あらば、こうこうと答うべし。)
    もし、他家の人でこの書き方をとがめだてする人がいたら、祖父からの口伝です、と答えなさい。

    (造紙の外のものは、女のためよしなけれど、家の風なれば、人よりもつまづまと少しづつ知るべき事なり。)
    造紙の外の事は、女のためにはあまり必要なことではありませんが、世尊寺家のならわしなので、他の人よりも口伝の要所要所を少しづつでも知らねばなりません。少しばかり説明を加えました。

    御表

    (御表。)
    御表。

    (関白、摂政、大臣などの、つかさを辞する事を申す草は、博士に作らせて、手書きの書くなり。)
    関白、摂政、大臣などの、辞任の上奏文の草稿は、文章博士に作らせ、能書の人が書きます。

    (大事なり。)
    それほど大事な事です。

    (公卿の座の末、もしは蔵人所のかみ、東三条殿にでは、二棟の廊の東面などにて書くなり。)
    公卿くげの末座であったり蔵人所くろうどどころの上座、東三条殿では、二棟の廊の東面などで書きます。

    (装束は衣冠、博士は束帯、衣冠思い思いなり。)
    服装は、衣冠を正しくして参じ、博士は束帯、衣冠は、それぞれによっています。

    (料紙は檀紙必ず三枚、御名注例によりて書く。)
    料紙はまゆみ紙、必ず三枚、名簿は書式に従って書きます。

    (禄ある度あり。禄あれば拝あり。二拝。)
    ろく(給金)をもらうことがあります。禄をもらえれば拝礼のしきたりがあります。二拝。

    大嘗会の御屏風は大事なり

    (大嘗会の御屏風は大事なり。)
    大嘗会だいじょうえの御屏風は重要なことです。

    (悠紀、主基とて左右あり。)
    悠紀ゆき殿、主基すき殿にそれぞれ左右に立てられています。

    (五尺六帖、四尺六帖ずづ左右にあるなり。)
    五尺六帖、四尺六帖ずつ左右にあります。

    (五尺には本文を書き、四尺には仮名を書く。)
    五尺の屏風には本文を書き、四尺の屏風には仮名を書きます。

    (博士二人、左右にして、本文は考えて、やがてその博士歌詠みなれば、歌も兼ね読むなり。さらねば別の人も詠む。)
    博士二人は左右に配置され、本文はよく考えて作ります。その博士は歌人なので和歌も併せて詠みます。

    (悠紀の方の歌をば、ただ仮名に、主基の方は草に書く。秘説なり。)
    悠紀の方の和歌は平仮名で、主基の方は草仮名で書きます。これは秘説です。

    額は第一大事なり

    (額は第一大事なり。)
    額は最も重要なものです。

    (されど多く古本を見て書く。)
    けれども、ほとんど昔の書物を見て書きます。

    (額にとりて大内額、書き替うる所どものあるなり。)
    額の中で大内裏の額は書くところによって書体が違います。

    急ぐ物書くには

    (急ぐ物書くには、筆の管短き良し。また、いたく墨磨らす。)
    急ぎの物を書くのには、筆の管が短いのがよろしい。また、墨を濃くは磨りません。

    御願の扉

    (御願の扉、本文を絵に合わせて、土台をして書くに、扉の上の色紙形は少し大きに下は小さく、草なる枚は草に、真なる枚は真に、一枚がうちに書き交ぜたるは悪き事なり。)
    御願の扉は、本文を絵に合わせて下書きをして清書するのですが、扉の上方の色紙形は少し大きめに、下の方は小さく、草書の色紙形には草書で、楷書の色紙形は楷書で書き、一枚の中に草書と楷書とを書き交ぜたのはよくありません。

    (ただし、居屋などの、け近き障子の色紙形は、上下によりて大小あるまじ。)
    ただし、日常の居室などの身近なふすまの色紙形は、上下によって大小をかき分けることはしなくでもよいでしょう。

    (絵などは、上は小さく書く。その故あるべし。)
    絵などは、上は小さく書きます。その由来は何かあるはずです。

    硯(すずり)について

    (硯。第一は唐硯。)
    すずり。第一は唐硯とうけんです。

    (硯の良きというのは、磨るに墨も硯も、共に潰るように覚ゆべし。)
    良い硯というのは、ると、墨も硯もお互いにすり減っていくように感じるものです。

    (磨りたる水の遅く乾、また、泡ふかず、とろめかず、なめらぬを良きというなり。)
    磨った水が乾きにくく、また、泡ができず、どろどろにならず、滑らないのが良いのです。

    夏の硯について

    (夏の硯は、く汚くなる。よいの水悪し。)
    夏の硯は、すぐに汚れます。日が暮れた時間の墨(液)は良くありません。

    墨と料紙について

    (墨は唐墨良し。)
    墨は唐墨からすみがよろしい。

    (唐墨も悪きは多くあり。唐墨の良きは、遅くついえめでたきものなり。)
    とはいっても、唐墨の中にも悪いものはたくさんあります。唐墨の良いのは、減り方が少なく申し分なく素晴らしいものです。

    (また、墨良けれども、きらめかぬ料紙あり。)
    また、墨は良いけれども、美しく書けない料紙があります。

    (厚紙、まゆみ紙、唐紙などの墨つかぬあり。)
    厚紙、まゆみ紙、唐紙などで墨がなじまないのがあります。

    (されどそれも良き墨にて書きたるが、墨つきは良く見ゆるなり。)
    けれど、それも良い墨で書いたものは、墨のなじみ具合が良く見えるものです。

    筆について

    (筆は第一の毛良し。)
    筆はうさぎの毛が第一によろしい。

    (大なるにて小さき文字書かれ、小さきにて大文字書かる。)
    大きな筆で小さい文字を書くことができ、小さな筆で大文字を書くことができます。

    (遅くつぶ愛あり。)
    毛先のすり切れるのが遅く、書いた字に愛敬があります。

    (ただし、書きたる物ぞ少し文字弱く見ゆる所あれど、わが手柄によるべし。)
    だが、書いたものに少し筆勢が弱く見えるところがあっても、それは自分の腕前によるものです。

    せんに嫌うは、わが手至らぬ時の事なり。)
    結局、自分の技術が未熟の時は、すべてがよろしくありません。

    扇の手習い

    (扇の手習いは文字・絵あらば、絵の心に適わん詩歌しかを書くべし。)
    扇の手習いは、文字や絵があったならば、絵の心にふさわしい詩歌を書きなさい。

    (葦手なども読み解きて書くなり。)
    葦手絵も詠み解いて書くものです。

    (君の御扇には、祝の詩歌を書くべし。)
    主上の御扇には、祝いの詩歌を書くものです。

    (また、畳みたつ折り目に書くまじ。畳みたるに、物書きたると見せず書くべし。)
    また、畳んだ折り目には書かないようにしましょう。畳んだら、文字が書かれてないように書きなさい。

    (書かぬ間のあるというはこれなり。)
    「書かない間がある」というのはこのことです。

    (裏に書かず。ただし様によるべし。)
    裏には書きませんが、それは場合によるでしょう。

    (その故は、大納言殿、一条院の御寺、扇合わせありけるに、唐紙の細骨に張りたるに、自ら楽府がふを、表には真に裏には草に書かれたりけるを、殊に御秘蔵ありけると申し伝えたれど、事に従うべしよいうなり。)
    その訳は、一条天皇の御世に扇合わせがあったとき、大納言行成卿が唐紙を扇の細骨に張り、自作の楽府がふ(漢詩の1つ)を、表には楷書で裏には草書で書かれました。この扇を、主上が殊の外御秘蔵なさったと言い伝えていますが、扇に書くときには故事に従うべきものです。

    硯にさす水を入れておく硯瓶について

    (硯瓶は、一銀。二茶碗。三貝。四銅。)
    硯瓶すずりがめ(水入れ)は、一は銀の器、二は陶磁器、三は貝、四は銅の器。

    その他の筆について

    わら筆、こも筆、書き様、結い様、執り様あり。常の筆執る様とは替るなり。)
    わら筆、こも筆は、書き方、作り方、執筆法がそれぞれ違います。普通の執筆法とは違っています。

    (鹿の毛の筆にて、小字を書ける良し。)
    鹿の毛の筆で、小字を書いているのは良いものです。

    雨中に物書く

    (雨中に物書く、かたがた良し。見苦しからず、速く書かる。墨も乾かず。)
    雨降りの日に文字を書くことは、上手に書けるそれぞれの条件に合ってよろしい。苦労せず、速く書くことができます。硯の墨もそれほど速く乾きません。

    灯のそばで文字を書く方法

    (灯の前にて物書く様。)
    夜、灯のそばで文字を書く方法。

    (昼よりは、少し小さく書くと思うが、同じ大きさの文字には書かるなり。)
    昼よりは少し小さく書いたように思っても同じ大きさの文字に書けるものです。

    (夜は大きに書かるるが故なり。)
    夜は大きめに書けるからです。

    番長とて、堂僧の持物は

    (番張とて、堂僧の持物は、手書き書くなり。)
    番張(法華経を唱える際の順番張)というものに、堂僧の持物を能書の人が書きます。

    (必ず三枚あり。その三枚というひらに三行を書くべし。)
    必ず三枚あります。その三枚目に三行を書くこと。

    (これ秘説なり。)
    これは秘説です。

    (東塔西塔によりて替る事あり。替るというは、の数の多く少なきなり。)
    東塔と西塔(比叡山にある塔)によって替わることがあります。替わるというのは、(仏徳または教理を讃する詩)の数の多少によります。

    (料紙、めでたき紙にいろいろ絵あり。)
    料紙は、立派な紙にいろいろの絵があります。

    出家すると戒牒(かいじょう)というものがあるという

    (出家して戒牒と申すものあり。)
    出家すると、戒牒かいじょうというものがあります。

    (四月十一月にあり。檀紙下絵あり。)
    四月十一月に書きます。檀紙に下絵があります。

    (三枚おくに、比丘という所をば、必ず三行に書くべし。)
    三枚目の奥に、比丘びくという所を、必ず三行に書くこと。

    (端の行よりは、少し引き上げて高く書く。)
    端の行よりは少し引き上げて高く書きます。

    (座主の判所、真に書くべし。)
    座主ざす(僧職)の記名は楷書で書きます。

    経は

    (経は、本体は真に書く。)
    経は、本来は楷書体で書きます。

    (大納言殿、書くべき様書き置かれたるには、いたく真なる悪し。)
    御先祖の大納言行成ゆきなり卿が写経の書き方を書き残されたのによると極端な楷書はよろしくない。

    (草といえば、点落つる程の草にはあらず。)
    草書といっても点を略するほどの草書ではありません。

    (経師げなく、見よき程の真に書かるべし。)
    写経師臭さがなく、見て好ましい感じのする楷書に書きなさい。

    (法華経一部を人々あまたに書かするに、一の巻、八局をばその中の手書きに書かすべし。)
    法華経一部を寄り合い書きする場合には、第一巻・第八巻をその中の手書きに書かせなさい。

    年中行事の障子

    (年中行事の障子 十二月の月文字を十二様に書くべし。)
    年中行事の障子 十二か月の各月の文字は、十二種類になるように書きなさい。

    (書き替えて書く事。)
    それぞれ書き替えて書くわけです。

    (文字は行ごとにあれば書き替え難し。)
    月という文字は行ごとにあるので、書き替えがむずかしいものです。

    (されどそれも、月を替うるていに、一月ずつも替りてかくべし。)
    けれども、それは月名を書き替えるように一月ずつでも替えて書くこと。

    生絹すずしきぬにて、墨のいかにもつかぬをば、はじかみを入れて磨りて書くなり。)
    生絹の布で墨のつきにくいのには、はじかみ(ショウガ・サンショウの異称)を入れて墨を磨って書きます。

    (秘説なり。)
    秘説です。

    天皇の前で硯を借りて文字を書く作法

    (君の御前にて、御硯給いて物書く様。)
    天皇の御前で御硯を拝借して文字を書く作法。

    (折りにつけておおせ書きなどする事もあるに、御硯をば君に向かえ参らせて置きて、我は逆さまにて書くなり。)
    その時々のおおせ言を書くことがある折には、御硯は天皇の方に向けたままで、自分に対しては逆にして書きます。

    (御硯なりとも御前ならざらんには、言うに及ばず。)
    天皇の御硯であったならば、御前でない場合にも、もちろんのことです。

    (筆はいかならんなりとも、執りつる筆にて、これかれ執りてりなどする事あるべからず。)
    筆はどのような物であっても、手に触れた筆で書き、あれこれと取り選ぶ事などしてはいけません。

    (筆を濡らして、きとまもり上げ参らせれば、書くべき事おおせあり。)
    筆に墨を含ませて、きりっとした態度で見上げ申し上げると、書くことを仰せいだされます。

    (たびたび問い参らすれば、便びんなき事なり。)
    何度も聞き直すのは、失礼にあたります。

    (書き果てては硯の水にきとすすぎて、かささして置くべし。)
    書き終われば、筆を硯の水ですぐにすすいで、筆帽をかぶせておくようにしなさい。

    能書たちの紹介

    (内裏額書きたる人々)
    内裏額を書いた人々
    十二門額
    南:美福びふく 朱雀すざく 皇嘉門 已上いじょう弘法大師(空海)
    西:談天だつてん 藻壁そうへき 殷富いんぷ門 已上野美材やみよし
    北:安嘉 偉鑒いかん 達智たつち門 已上橘逸勢たちばなのはやなり
    東:陽明 待賢 郁芳いくほう門 已上嵯峨天皇さがてんのう

    (また内の額書ける人々)
    また、内裏の額を書いた人々
    道風みちかぜ内蔵頭佐理すけまさ左大弁行成ゆきなり大納言、定頼中納言
    兼行大和守弘経ひろつね少納言源左府げんさふ俊房、入道殿下

    (皆勧賞あり)
    皆褒賞をもらいました。
    冷泉中納言朝隆
    宮内少輔伊行

    紫宸 仁寿じじゅう 承香しょうきょう 常寧已上南北より 貞観じょうきょう
    安福 校書きょうしょ 清涼 弘徽こき已上南北より 登華とうか
    春興しゅんこう 宜陽ぎよう 綾綺りょうき 麗景已上東北より 宣耀せんよう
    温明うんめい 後涼西東
    飛香ひぎょう 凝華 襲芳舎しほうしゃまた雷壺という 昭陽
    淑景しげい南より

    (内裏の門、殿舎多かれど書かず。むねとある所ばかりを書けるなり。)
    その他、内裏の門や殿舎は多いけれども、そのすべては書きません。最高の価値のあるものだけを書きました。
    宇治殿平等院 額:源左府俊房 円宗寺 額:兼行 色紙形:長季
    御堂法成寺 額:大納言行成 扉:兼行 白川院法勝寺 額扉:俊房
    堀川院尊勝寺 額:俊房 色紙形:中御室 阿弥陀寺 御塔主殿頭公経 扉故入道殿定信
    白川院証金剛院 額:俊房 色紙形:中御室 鳥羽院最勝寺 法性寺イ 額:関白殿
    宝荘厳院 額:入道殿下 扉:朝隆中納言 待賢門院円勝寺 額:入道殿下 扉:故入道定信
    崇徳讃岐院成勝寺 額:入道殿下 後白川一院金剛勝院 額:入道殿下
    美福門院歓喜光院 額:入道殿下 扉:故入道定信 法金剛院 額:入道殿下 後戸御室
    寝殿 故入道定信 殿上廊 入道殿下
    御湯殿御所 平等院僧正行尊 廊花園左府有仁
    (無下に間近き御願どもの扉額など、また誰か御願ども知らぬ事は、無下なれば少々記したり。)
    たいへん身近な御願などの扉・額など、また誰でも知っていなければならない御額などの物は、ちょっと書き記しました。

    (悠紀主基の御屏風書ける人々)
    悠紀・主基の御屏風を書いた人々
    醍醐野美材 朱雀 村上道風 冷泉時文
    円融 花山 一条沙理 三条 後一条行成
    後朱雀定頼 後冷泉 後三条 白河兼行
    堀河伊房 鳥羽本院定実 景隆ィ 章網 崇徳新院定信 近衛
    後白川当院朝隆 二条院伊行 六条院 高倉当今朝隆

    (能書の人々)
    能書の人々
    弘法大師讃岐国人 嵯峨天皇桓武第二皇子 敏行右兵衛督
    美材大内記 兼明かねあきら親王中書王 道風内蔵権頭
    時文ときふん木工権頭 文正加賀守 佐理左大弁
    具平ともひら村上第七皇子 行成権大納言 延幹君えんかんのきみ法師也
    文時 定頼中納言 恒柯つねえ
    橘逸勢但馬守 関雄下野守兵庫頭 素性法師
    兼行 伊房中納言 長季ながすえ土佐守
    定実左京太夫 定信宮内権大輔 伊行宮内少輔

    弘法 天神 道風 三聖の由世事要略に見ゆ(空海・菅原道真・小野道風を三聖という事が世事要略に書かれています。)

  • 王羲之の書論「自論書」を紹介/内容・現代語訳・原文

    王羲之の書論「自論書」を紹介/内容・現代語訳・原文

    自論書について/内容

    自論書じろんしょは、王羲之おうぎしが書いた書論しょろんです。

    書論(しょろん)とは

    書論しょろんとは、書について語られた文章のことです。

    王羲之おうぎし書論しょろんとして伝わるものはほとんどが後世に作られた偽物とされていますが、「自論書じろんしょ」は王羲之おうぎし自身の手によって書かれたものと信じられる唯一ゆいいつのものです。

    自論書じろんしょの内容としては、王羲之は時代の鍾繇しょうよう後漢ごかん時代の張芝ちょうしの2人を古今こきんの「二賢にけん」としてあげ、彼自身の書はこれらに対抗できる、もしくはこれらに次ぐという自信を示してします。

    文字はもともと伝えるための道具でしたが、後漢ごかん時代ごろから書の美しさが鑑賞の対象とされるようになり、その優劣を比較することが大きな関心事となりました。

    王羲之も他の書家と自分の書を比べているのです。

    鍾繇しょうようについてくわしくはこちら↓

    自論書の現代語訳

    私の書は鍾繇しょうよう張芝ちょうしにくらべてもきっと対抗できるし、あるいはそれ以上であるかもしれません。しかし張芝の草書には少しあとからついてゆかなければならないでしょう。

    張芝ちょうしの技法は成熟において人よりすぐれ、池の前で書を学んでいると、池の水がすっかり墨になったと伝えられます。もし私もこのくらい書に没頭できれば、必ずしも彼におくれをとることはありますまい。後世の達式の人は、私のこの批評がまちがっていないことを理解してくれるでしょう。

    私はすぐれた書を作るために心をくだき、また久しく諸々もろもろの先人の書を尋ねてきましたが、ただ鍾繇しょうよう張芝ちょうしだけはまことに並はずれて優れており、その他は少しはいいところはあっても、心をとめるに足りません。この二賢を除けば、私の書がこれに次ぐでしょう。

    先ごろお手紙をいただきましたが、心ばえいよいよ深く、点画の間にみなすぐれたおもむきがあり、なかなか言葉で言い尽くせないものがあります。みょうを得たものは何事につけてもみなそうなのでしょう。平南(王廙)や李式があなたを批評しても、あなたはひけをとることはありますまい。

    平南は右軍の叔父で平南将軍の王廙である。李式は晋の侍中。

    自論書の原文

    吾書比之鍾張、當抗行、或謂過之。張草猶當雁行。

    張精熟過人。臨池學書、池水盡墨。若吾耽之若此、未必謝之。後達解者、知其評之不虛。

    吾盡心精作、亦久尋諸舊書、惟鍾張故爲絕倫。其餘爲是小佳、不足在意。去此二賢、僕書次之。

    頃得書、意轉深、點畫之閒、皆有意。自有言所不盡。得其妙者、事事皆然。平南李式論君不謝。

    平南卽右軍叔平南將軍王廙也。李式晉侍中。

  • 孫過庭の「書譜」の内容を全文現代語訳・日本語訳で紹介【全訳】

    孫過庭の「書譜」の内容を全文現代語訳・日本語訳で紹介【全訳】

    孫家庭そんかていの「書譜しょふ」は、とう時代の草書の名品であり、かつ伝統を踏まえた書論しょろんとして、書道史上重要な作品です。

    そんな「書譜しょふ」の内容を全文現代語訳で紹介します。

    孫過庭の書譜・全文現代語訳

    書譜しょふはとても長い文章なので、6ぺんに分けて読みやすくしています。

    • 第1篇 王羲之を典型とする四賢の優劣論
    • 第2篇 書の本質と価値
    • 第3篇 六朝時代からこれまでの書論の評価
    • 第4篇 書法技術と王羲之の書について
    • 第5篇 書表現の基盤と段階
    • 第6篇 書の妙境と批判
    • 抜語 「書譜」にかける想い

    また、〔 〕部分は原文にはありませんが、読みやすいように付け足した部分です。( )部分は語句の説明です。

    第1篇 王羲之を典型とする四賢の優劣論

    孫過庭の「書譜」#1
    孫過庭の「書譜」#1

    昔から、書の名人として代表的な人と言えば、後漢ごかん時代の張芝ちょうし時代の鍾繇しょうよう、それに東晋とうしん時代の王羲之おうぎし王献之おうけんし(その息子)があり、みなそのすばらしさをたたえられてきた。

    王羲之おうぎしは、「最近、多くの有名な筆跡を探し求めてみたが、鍾繇しょうよう張芝ちょうしの書が群を抜いてい。そのほかの人の書で、鑑賞にたえるほどのものはない」といっている。〔王羲之のこの評価からみても〕鍾繇しょうよう張芝ちょうしが亡くなった後、彼らを継ぐのは王羲之おうぎし王献之おうけんしの2人だといっていいだろう。

    王羲之おうぎしはさらにこうも言っている。「私の書は鍾繇しょうよう張芝ちょうしに比較すると、鍾繇には肩を並べられる。もしかするとまさっているとも思う。張芝の草書には自分の方がたぶん遅れをとっているだろう。しかし張芝のあの精熟な書は、池の水がすっかり墨汁になりかわったというほどの練習の結果である。もし私が張芝ほど猛練習をしたとすれば、必ずしも張芝にひけをとるまい」と。

    この言葉は、張芝ちょうしをより高く評価して、鍾繇しょうよう以上だとする王羲之の気持ちをしめしている。

    王羲之おうぎしの楷書と草書を〔張芝ちょうしの草書、鍾繇しょうようの楷書と比較して〕考察してみると、王羲之のそれぞれの書体は鍾繇しょうよう張芝ちょうしまさってはいないが、それぞれの長所を吸収して両方の書体に通じている点で卓越する。だから、日常で他におとらない楷書、草書を書くことができるのである。

    ところで、批評家は、「かつての四賢(張芝ちょうし鍾繇しょうよう王羲之おうぎし王献之おうけんし)は、昔も今も群を抜いてすぐれている。現代の書が過去の書においつかないのは、昔は質実しつじつ(質が重要)であったのに対し、現代は華美かび(派手さ)だからだ」という。

    〔この説に対して私はこう思う。〕そもそも質実しつじつとか華美かびは時代の風潮によって移り変わるものである。その昔はじめて文字が作られたときは、言葉を記録するという実用性のみだったが、時代がすすむとともに、その内容も自然とうつり、質朴しつぼく(飾り気がなく素直な書)から飾り多いものへと移り変わってきた。文化のめまぐるしい変遷へんせんは、当然の流れである。したがって古法を尊重しながらも現代感覚にずれず、現代風でありながらその時代の悪習に流されないことが大切である。これこそ『論語』のいわゆる「素朴そぼくと文明を調和した人にして、はじめて徳をそなえた君子」ということなのである。どうして古いものがとうとばれるべきであるからといっていまさら豪華ごうか宮殿きゅうでんがあるのに原始的なほら穴生活に変えようとし、立派な乗り物があるにもかかわらず粗末そまつな車に乗り換える必要があろうか。

    さらに、「王献之おうけんしが父の王羲之おうぎしにかなわないのは、なお王羲之が張芝ちょうし鍾繇しょうように及ばないようなものだ」という人がいる。

    〔この批評に対して私は〕こう思う。これはだいたいはまとを得ているとは思われるものの、まだ十分ではない。どういうことかというと、鍾繇しょうようは隷書だけが得意で、張芝ちょうしは草書だけが得意だった。が、王羲之は2人の長所を同時にねそなえているのである。王羲之の草書を張芝の草書と比較してみると、王羲之はさらに隷書にも通じているし、鍾繇の隷書に対しては、王羲之は草書もすぐれている。王羲之はこの2人のそれぞれ専門の書体に関してはすこしおとっているものの、各書体をひろくこなしている点でははるかに優れている。こうした事情を総合的にみれば、王羲之が張芝・鍾繇に及ばないという評価は理にかなわないのである。

    謝安しゃあんは、もともと彼自身立派な筆跡の手紙を書いたので、当時評判の王献之おうけんしの書を軽くみていた。あるとき王献之はうまく書けた手紙を謝安に送ったことがあった。内心「きっと大事に保存してくれるだろう」と思っていた。しかし謝安しゃあんは気にもとめずにその手紙の余白に無造作に返事を書いて送り返してきたので、とても残念がったそうである。

    またあるとき謝安しゃあん王献之おうけんしに、「あなたの書は右軍殿(王羲之おうぎし)にくらべてどうだね。」とたずねたことがあった。

    王献之おうけんしは答えた。「それはもちろん私のほうがうまいはずです。」

    謝安しゃあんは言った。「世間での評判はそうではない。」

    王献之おうけんしはかさねて、「今どきの連中らに理解できるものですか。」と言ったという。

    この問答で王献之おうけんしはその場のがれに謝安しゃあんの鑑識眼を否定したとしても、自分から「父よりまさっている」と口ばしるのは、子としての道徳上なんと度を失ったことではないか。それに、一人前になって出世して後世に名前をあげられるということは、父母さらに祖父母を尊い称えるのが子としての本来果たすべき責務なのである。曽参そうしん孔子こうしの主要な弟子)は「勝母」という名前の村に足を踏み入れなかった〔というではないか。まして王献之が父(王羲之)に勝ると自分から口にするなど謙虚けんきょさが全く感じられない〕。王献之の筆跡は、父・王羲之の書法に近く、まあまあだいたいの規格を伝承しているとはいうものの、その実おそらく完全には継承できていないのではないだろうか。まして神仙に書法を伝授されたとこじつけて、父の教えを尊ぶことを恥とするのは、親不孝この上もない。こんな態度で書学をげようとするのは、いわゆる土俵に真向かって立つようなもので、進歩はない。

    王羲之おうぎし王献之おうけんしの優劣を判断するには、また次のような逸話がある。〕その後、王羲之が都へ出向こうとしたとき、壁に題書してから出発した。王献之はこっそりその字をきとり、勝手に書きかえ、心ひそかに「まず上出来だ」と思っていた。ところが、王羲之が帰宅してこの字を見たとき、がっかりしてこう言った。「都へ出かける際のわたしは、ひどく酔っておったものだ」と。王献之はこのとき内心ヒヤッとさせられた。

    これらの話でもわかるように、王羲之おうぎし鍾繇しょうよう張芝ちょうしに比較すれば、1つの書体での比べ方・他の書体と組み合わせた比べ方で優劣の差はあるが、王献之おうけんしが王義之に及ばないことは、もはや疑いもない。

    →第2篇へつづく…

    第2篇 書の本質と価値

    孫過庭の「書譜」#2
    孫過庭の「書譜」#2

    私は15歳のころ、書法に関心を持って、鍾繇しょうよう張芝ちょうしのこした名品を味わい、王羲之おうぎし王献之おうけんしの規範をくみとり、深く考察し、精進して、もう24年をこえた。王羲之の書法の核心にはまだまだへだたりはあるけれども、書の道への志は〔かの張芝に劣らず、少しも書から〕離れたことはない。

    かの懸針けんしん垂露すいろ奔雷ほんらい墜石ついせき鴻飛こうひ獣駭じゅうがい鸞舞らんぶ蛇驚だきょう頽峯たいほう臨危りんき拠槁きょこう(点画の筆法を、動物や自然現象で形容することば)といった点画のすぐれた姿態したい形勢けいせいを〔たとえば王羲之の名筆にひきあてて〕観察してみると、あるところは怒涛どとうのように重々しく、あるものはせみのはねのように軽やかであり、かと思うと泉の水を導き流しだすように筆が流れるかと思えば、またどっしりと存在する山のような点画もある。さらにはほっそりとした新月が天のかなたにかかっているような、また無数の星が天の川にきらめいているような筆勢もある。

    • 懸針けんしん…縦画の終筆を針のように鋭くはらう筆法
    • 垂露すいろ…縦画の終筆を軽くおさえる筆法で、勢いをゆるめて水滴が垂れたまっているように下端がまるくなる
    • 奔雷ほんらい…点を書く際に、筆をひねって左へ短くはね出す
    • 墜石ついせき…石が落下するような重い点
    • 鴻飛こうひ…「成」や「機」などにある右斜めに引き下ろして最後にはねる部分は、ゆったりと伸びやかにはね出す
    • 獣駭じゅうがい…「乙」法をいい、右下でうずくまらせた筆法を鋭く早くはね上げる
    • 鸞舞らんぶ…「九」の2画目や「風」の2画目の折れる部分は、筆先をいったん落ち着かせ、ゆっくり下方向へ移る
    • 蛇驚だきょう…しんにょう「辶」の右払いは、3か所止まる箇所があり、最後に心をこめて右に払う
    • 頽峯たいほう…終筆がはねる縦画「亅」は、あまり直線的になりすぎないようにする
    • 臨危りんき…左払いは筆先を上に向けながら左に送る
    • 拠槁きょこう…「女」の1画目や「毎」の3画目の、中で折れて右斜め下に引く部分は軽めに折れること

    このような変化自在の書きぶりは 自然の霊妙れいみょうな働きと同じで、努力して習っても書けるようになるものではない。まことに見識・技術ともに抜群で、心と手がともにのびのびとしていて、気ままな運筆にならず、書くことに必然性をもち、一点一画のなかにも、筆遣いの抑揚よくよう頓挫とんざといった変化をもつような人にしてはじめてなしえるといっていいだろう。

    それなのに点や画を積み重ねさえすれば字が出来上がるのだと言って、それこそすぐれた書跡を鑑賞せず、ちっとも習おうとしないで、班超はんちょう(人名)を引き合いに出しては言いわけし、項籍こうせき(人名)を例に出しては自己満足しているなど論外である。筆まかせに墨をぬりたくって形をこしらえあげ〔それで字になったと思い〕、手習いの心得もよく知らずに、線を書く筆運びにも迷いがある。こういったような人が、書を極めた境地を得たいと願い求めるのは、実に見当ちがいではないか。

    班超はんちょう…役所で筆耕(文字を書く仕事)をしていたが、あるとき筆を投げ「立派な男子は戦で活躍し、領地を勝ちとるものだ。こんな仕事は続けていられない」と言った。つまり、もっと偉大な人になるために、文字を書いているひまなんてないということ。

    項籍こうせきしん末期のの武将。少年の頃、おじに「書は名前を書けさえすれば十分だ。剣は1人の敵を相手にするだけのものだ。万人を相手にする術を学びたい」といった。そこでおじが戦術論を教えてやるととても喜んだ。

    しかし、『論語』にもいうように君子が理想を実現するためには、まず人としての根本の道を修めなければならない。楊雄ようゆうは、「を作ることは本質からはずれた重要でないことで、一人前の男のすることではない」といっている。まして微細な筆の毛先に心をおぼれさせ、書のような小道に心をうばわれるなんてなおさらするべきではないことである。

    とはいっても〔本来遊びごとにすぎない〕囲碁いご(石で囲んだ領域の広さを競うボードゲーム)もそれに没頭して打つようなら、王坦之おうたんしのように「坐隠ざいん」とたたえられるようになり、名誉めいよ利益りえきを求めることをせず悠々自適ゆうゆうじてきと釣り糸をらしているようなら、今の役職や地位にとどまるか辞職するか、身の振り方を体得しているといわれる。〔囲碁いごや釣りでさえそうなのだから、まして書の〕効用こうようは、社会の秩序ちつじょたもつ礼節と人の心を和らげる音楽を盛んにし、神通力を得た仙人にもなぞらえられる妙味みょうみを持った書芸術ならば、これら囲碁いごや釣りの場合など比較にもなるまい。まるで、陶工とうこうが土をこねてさまざまな器を作り出してゆき、鋳物師いものしいろりをつかって熱してとかした金属を型に流し込み、固めて器物をつくるように、創造的なものである。

    普通とは違う珍しいことが好きな人は、構成上の多面さをおもしろがり、奥深い妙趣みょうしゅを追求する人は、運筆の緩急・抑揚などの変化における正しい論理を会得えとくしようとする。また、著述家は〔自分で体現しないことを、他人の〕とるに足りない言葉を借り〔論述するに過ぎないことが多いけれども、名品に親しむこの多い〕鑑賞家は美の精華を摂取する。こう考えてくると、書は実に学問真理の行きつく最終地点であり、本当に賢人達人がもとに善を修める根本とするものである。だからつねに名品に心をとめて鑑賞するのは、考えがあってのことなのである。

    書芸術が大いに高まった東晋とうしん時代の知識人たちは、お互い切磋琢磨せっさたくましてはげんでいる。王氏や謝氏(東晋の名族)の一族、氏や氏一門の人々ともなると特にすぐれ、たとえ絶妙の境地には至っていないにしても、それぞれ書の風趣ふうしゅ会得えとくしていた。だが、時代が進めば進んでいくほど、書の道はどんどんとおとろえてしまった。そうすると書法を学ぶ者は本当かどうかうたがわしいせつを聞いても、それをうのみにして他人に伝え、重要でないことを学んで物事の本質でないことばかりを実行するようになったために、過去と現代とは断絶して誰に正しい書法を習ったらよいのか分からなくなってしまった。たとえ書の本質に精通した人がいたとしても、このような世の中にあっては、口を閉じてしまっている。こんなわけでとうとう書を学ぶ人々は根拠とするべき書の基本や伝統のつかみどころがなくて肝心かんじんなことを理解できず、名品のすばらしさをただ見るばかりで、どうしたらそのような域にたどりつけるのかさとれなくなってしまった。

    こうして、書の構成について長年研究している人がいたとしても、法則を理解するにはほど遠く、楷書を書いてもさとれず、草書を習っても迷いを抱くばかりである。かりに、少しは草書がわかる、少しは楷書の法を伝承できたと思っても、それはかたよった我流がりゅうにはまりこんで、自分から真の法則を理解する道をさまたげてしまっているのである。こんなことではどうして精神と技法の融和ゆうわが、たとえば水源を同じにする流れのようであり、いくつもある用筆法も基本は同じで、あたかも同じ幹から出る枝もその向きをちがえるようなものだ、ということを理解できようか。〔名筆家は書風や技法は違っていても、会得している境地の起源は同じなのである。〕

    ところで、吏員りいん(公務員)が実務的なものを書くものや、一般の日常処理に使う書体は、行書がもっとも適している。題額や碑文などの公用書体には、やはり楷書が第一である。ところが草書だけ学んで楷書ができなければ、改まったものを書くのに危なっかしいし、楷書はできても草書を学んでいなければ、手紙などの日常文字はこなせない。

    楷書は一点一画が形の本質をなし、筆の運びで感情を表現する。草書は一点一画によって感情を表現するが、筆の運びが形の本質をなす。草書はリズム感がなければ字の態をなさないが、楷書は一点一画を欠いたとしても、一応は文字としての識別が可能である。このように楷書と草書では相関関係は相反するけれども、しかし大筋においては相互に関係しあっている。

    だから同じように大篆だいてん小篆しょうてんに精通し、八分はっぷん(隷書)を習い、章草しょうそう(隷書に近い草書)を会得し、飛白ひはく(装飾書体)もよく習熟しておくべきである。もし少しでも行きとどかないところがあれば、(北の国)とえつ(南の国)の〔異国の遠い国の風習の〕ようにへだたって〔つまり書の本質から、大きな差が生じて〕しまうだろう。

    鍾繇しょうようの楷書のすばらしさ、張芝ちょうしの草書のみごとさは、それぞれ1つの書体を極めて抜群の境地に達したからである。しかし彼らほどになると、張芝ちょうしは楷書の人ではない〔草書専修の人だ〕けれども、その点画には〔楷書の建設的要素が〕自在に取りまぜられている。鍾繇しょうようは草書の人ではない〔楷書専修の人だ〕けれども、〔草書のリズミカルな運筆法が〕縦横に駆使くしされている。〔それぞれの各書体にも習熟したにちがいあるまい。ところが〕鍾繇しょうよう張芝ちょうし以後の書家になると各書体の書の大事なところを、うまく兼ね合わすことができないのは、才能が遠く及ばないからであり、またひたむきに精進しなくなったからである。

    篆書・隷書・草書・章草の字の形は、技法も変化多様であるが、書芸術としての美を成しとげるには、各書体それぞれに特性がある。篆書はまろやかにすることが大事で、隷書は緻密ちみつに行きとどかせる必要があり、草書はのびのびと流動性に富むようにするのが大事だし、章草は引きしまって実用的であることが大事である。

    〔それぞれの書体の特質をこなした〕そのうえで、きびしさをもたせるにはいきいきとした生気せいきにより、穏やかさをもたせるにはうるおいをもって、躍動やくどうさせるには強い力を底にもち、節度にかなうためにはゆったりとした上品さを持つことである。こうなってはじめて、書は心の本質に達して、喜怒きど哀楽あいらくの感情を表現できるのである。

    四季の変化を観れば、1000年の昔からずっと変わらないものだ。しかし人の一生は青年もすぐに老人になってしまうことを体現すれば、たとえ一生が100年だとしても自然の悠久なのにくらべればほんの一瞬でしかない。ああ、〔人生とははかないものだ。しかし、とはいっても限られた人生において〕書の門をたたくことがなかったら、決して人生の深い境地(自然の心)をうかがい知ることはできないのである。

    またときに同じ人が書いても、かい(調子の悪いとき)もあれば合(調子のいいとき)もある。合のときは筆が気持ちよく動くし、かいのときはしぼんで生気がない。その理由を概略すると、それぞれ次の5つの場合が挙げられる。

    こころがやわらいで仕事に追われていないときは、合の第1である。感覚がえ、なにごともすぐ理解できるときは、合の第2である。気候が穏やかで大気に潤いのあるときは、合の第3である。紙と墨がよくなじむときは、合の第4である。ふと書いてみようとする気持ちがおきたときは、合の第5である。
    これに反して、あわただしくて身体がだるいときは、かいの第1である。気分が乗らず、気勢のあがらない場合は、の第2である。空気が乾燥し太陽が照りつけるときは、の第3である。紙と墨がなじまない場合は、の第4である。興味がわかず手が重いような場合は、の第5である。

    以上のような調子の良しあしの分かれ目で作品のでき具合に優劣の差がつく。〔ただし5合のような条件はなかなかこない。だから〕よい時期を待っていることよりも、よい用具用材をそろえるほうがよいし、よい用具用材をそろえるよりも、書作にあたっての気持ちを充実させることの方が大事である。もしかいの5つの条件が同時にあつまってしまったら、思いはふさがれて手は動かないが、合の5つの条件がともに整ったら、こころはゆったりし筆ものびのびする。筆がのびのびすればどんな書でも思いのままになるが、とどこおればどうにもしようもない。

    →第3篇へつづく…

    第3篇 六朝時代からこれまでの書論の評価

    孫過庭の「書譜」#3
    孫過庭の「書譜」#3

    『論語』にいうその道の本質を体得した人は、『荘子』でもいうように真理をさとっているため、かえって説明することを忘れてしまって、その要訣を他の者に語ることはほとんどない。一方無理に背伸びして熟達した境地を学ぼうとする者は、昔の賢人の風趣を尊敬して追い求め、その奥義を説明してみるが、どう説明してみてもおおざっぱな説明になってしまう。彼らの述べるところはただ昔の賢人の工夫について立論するだけで、その本質を解き明かしてはいない。そこで私は常識にとらわれず、気ままに自分の理解していることを述べようと思う。どうかして昔の賢人ののこした優れた書法を世にひろめ、器量と見識を備えた将来ある人を導きたいと願うからである。従来の繁雑はんざつさや過剰かじょうな意見を取り除くことができたら、後の時代の見識があるひとたちで、昔の賢人の名跡を鑑賞して書のこころを見抜ける人がでてくれるであろう。

    世間に「筆陣図」という著作がある。その中に執筆法の3つの図が描かれている。しかし図は正確でないし、点画の説明もはっきりしない。最近これがあちこちに広まっているのを見かけるが、もしかしたら王羲之が書いたものなのかもしれない。まだ本当かどうかはっきりわからないが、それでもまあ、初心者の役には立つだろう。この本はもう世間で定番のものであるから、ここにはとりあげない。このほか過去にも緒家の書評評論は多いが、同じ内容に修飾しゅうしょくしたことばしかない。文章は整っていても、内容は書の道理についてあいまいなものばかりである。今日の評論書も〔同じように見せかけでしっかりした内容のないものだから〕まだここにはとりあげない。

    ところで、〔後漢の〕師宜官のような有名人も、いまではただ歴史書の中で称えられるだけだし、〔魏の〕邯鄲淳かんたんじゅんのような立派な書法も、文献に記されているだけでともにその書跡はみられないのである。〔また後漢の〕崔瑗さいえん・杜度から〔宋の〕羊欣ようきん・〔梁の〕蕭子雲しょうしうんにいたるまでは、時代も長く、有名な能書家もたくさん出た。その中には、時がたっても名声が不変で、死後もその芸術が高い評価を受ける人もいれば、一方社会的な権勢によって本当の価値以上にもてはやされていても、死後には評判を落としてしまっている場合もある。それに長い年月のうちには、そのどの作品も、湿気や虫食いのせいで損傷していくつかは伝わらなくなってしまうから、現在では秘蔵の名品を探し求めてもほとんどありはしない。たまたまそのような名品に出くわしても、これまためったにお目にかかれないので、優劣の評価ははっきりしないし、細かいランク付けはほとんどできない。その中で現在でも有名で、かつ筆跡の残っているものは、作品の評価をまつまでもなく、その作品自体が優劣を表している。

    さてまた、文字が創られたのは、軒轅(黄帝{伝説上の帝王})の時からはじまり、その後、書体は変遷して八種類の書体が使われるようになったのは、嬴正(始皇帝{嬴は秦国の姓、正は始皇帝の名の政治に通じている})の時代からである。文字の歴史は長く、文字の用途は時代とともにますます広範囲になった。ただ、今と昔では〔書体も書風も〕異なり、質朴しつぼく(飾り気がなく素朴)から華美へとへだたりが生じてきている。もはやこれら八書体は、楷書・行書・草書のように常に習う書体ではないのでこれもまた省略する。

    また竜書・蛇書・雲書・垂露篆のたぐいや、亀書・鶴頭書・花書・英芝書のたぐいのものがあるが、それらは対象物をさっと象ったり、あるいはその時々にあらわれた瑞祥を描いたりしたものである。その技巧は文字を書くというより、むしろ絵画にちかく、工夫は書としての条件に欠ける。これもまた書の規範に異なるものであるため、くわしく論じるほどのものではない。

    世間に伝わっている王羲之おうぎし王献之おうけんし(その息子)に与えたという「筆勢論ひっせいろん」十章なるものは、文章は俗で論理は雑だし、意味も通じず表現もつたない。その内容をくわしくみてみると、絶対に王羲之のものではない。それに王羲之は当時の書人のなかでもとくに高い地位にあり、才能も豊か、人格は繊細で美しく、文章も優雅であって、今日にいたるまで名声はすたれていないし、筆跡もそのまま現存している。王羲之が手紙に書いてある内容を述べる態度を観察してみると、どんなに急いで書いた場合でも、昔の作法にのっとっている。そんな王羲之が書法についての考えを息子に書き残すのに、理論は法にかなっていても、文章はこれほどまでに全くいいかげんに書くということがあるのだろうか。

    また「筆勢論」の文中に「王羲之は張伯英とともに学んだ」といっているけれども、これこそ偽物であることをいっそうはっきりさせている。もし漢末の張伯英をさしているなら、東晋の王羲之と時代がまったく接していない。とすると当然晋時代の人で同姓同名のひとがいたと思いたいが、歴史書にみえないのはどうしてだろう。こうみてくると「筆勢論」も正統な著作ではないので、まあ見捨てていいだろう。

    →第4篇へつづく…

    第4篇 書法技術と王羲之の書について

    孫過庭の「書譜」#4
    孫過庭の「書譜」#4

    そもそも、さとりの境地というものは、なかなか説明しにくい。言葉では表現できても、それも文章にして書くことは難しい。しかし、大体おぼろげな状態を輪郭づけて、大すじを文章にする程度ならできるだろう。私がここで述べるのもその程度のことだから、読者は言葉の奥の道理をくみとり、書の優れた境地を会得できるよう願ってやまない。私の論が不完全で言いつくせないところは、将来の見識ある人々に期待し補充してもらいたい。

    まず書の基本的技法であるしつ使ようてんの由来をべて、まだ運筆技法の基本を理解しない人のために啓発けいはつしたい。しつというのは、筆を時々に応じて深くまたは浅く、長く短くもつ執筆法をいう。言い換えれば、書体や字の大小によって執筆を長短にするたぐいをさす。使とは、縦・横に筆を運筆する呼吸をいう。つまり筆鋒を進めたり引きとどめたりするたぐいのことである。てんとは、草書などを書く際に用いるくねくねとまがりくねる執筆法をいう。盤紆ばんう〔緩やかな曲線をえがく運筆〕のたぐいである。ようとは、一点一画の力の均衡をさす。言い換えれば、一字における立体的な構成の結体法をいう。さらにまたこれら4種類の法を総合して、書法の原理に帰着きちゃくさせ、多くの技法を整理し系列化し、そこから生じるさまざまな妙趣をまぜあわせて、先賢せんけんがいままで論じきれなかった点を取り上げ、後の学者のために伝統的書法を啓発けいはつし、書の根源をつきつめ、数々の流派を分析してみよう。文章は簡潔に、しかしすじ道はいきとどくようにし、明瞭めいりょうな文章でわかりやすく、読めばすぐに理解できるようにし、筆を紙の上に下ろせばすらすら書けるようにすることを目標としたい。世間をまどわせるような奇抜きばつな説については私の関わるところではなく知らないので取り上げない。

    しかもいま私がここで述べることは、書を学ぶ人の助けとなり、役立つようにつとめている。特に心にとどめておきたいのは王羲之おうぎしの書だけは、昔も今もほめたたえて習う者が多いことである。王羲之の書ならば、いかにも師法としてよりどころにするのに十分であり、学書の目標としてふさわしい。それは単に古法を会得し現代にも通じているというばかりではない。こめられたそのおもむきも格調も自然の性に深く合致がっちしているからである。だから人々に模写もしゃされ、年ごとにますます研究者を増加させる結果となったのである。王羲之と前後する名のある人の作品も、多くばらばらになって行方が分からなくなってしまっているが、王羲之ひとりが学ばれたきっかけは、まさにその効力によるものではないか。

    〔王羲之の書がなぜこう優れているのか。〕私はこころみにその理由について、見解を述べてみよう。王羲之の作品では、「楽毅論がっきろん」「黄庭経こうていきょう」「東方朔画讃とうぼうさくがさん」「太師箴たいししん」「蘭亭集序らんていしゅうじょ」「告誓文こくせいぶん」のみが世間に伝えられており、楷書・行書の極地をしめす作品である。

    楽毅論がっきろん」には感情のたかまりが現れている。〔それは楽毅がくき(人名)の忠誠に感動するからであろう。〕
    東方朔画讃とうぼうさくがさん」にはめずらしいおもむきが現れている。〔それは東方朔の画像の讃だからであろう。〕
    黄庭経こうていきょう」は虚無自然の境地に喜びひたっている。〔それは道家の経典を書いたからだろう。〕
    太師箴たいししん」は筆遣いの縦横に緊張をはらんでいる。〔それは重い責任のある職についている太師のいましめた文章だからだろう。〕
    蘭亭序らんていじょ」ともなると、思いは世俗をはるかに超えて、精神は超越している。〔それは当時のおおくの賢人たちが集まって上品な楽しみを行ったからであろう。〕
    告誓文こくせいぶん」には抑えられた感情の痛ましさがみえる。〔これは政争に敗れて、地位を退く決意を祖先の霊前れいぜんげた文だからであろう。〕
    これらは〔陸機の「文賦」に〕いわゆる「楽しいことにあえば笑い、悲しいことを語ればなげく」ようなものである。〔つまり書くときの感情のが外にあらわれ出るにしたがって、心境が自然に外にあらわれ出るからである。これが王義之の書の優れたところである。〕

    書は、かつてのきん(楽器)の名人伯牙はくがのようにわが思いを流水によせて、定まらない心持ちを作曲したり、また絵画のようにかの睢・渙〔水の流れる襄邑の地の美事な織物〕に思いをめぐらせて、美しく画作したりするだけのものではない。〔というのは、書はそのまま自己の情性を表現するものだからである。しかし、書の本質が〕直観によって知覚するものであるとはいっても、それでもやはり、心に迷いあれこれ議論するものである。このような人はことさら型を限定したり、また同じ書を習いながら流派の区分をたてる。そんなことではどうして、感動がそのまま言葉になって詩文の形をとり、季節に応じて陽気には伸びやかに陰気には痛ましい気分になるというような王羲之の書の世界、それが、自然の道理にもとづいていることを理解しえようか。天地の深い心を理解できない限り、道理の認識は本質から離れたものとなってしまう。王羲之が到達した境地を探っていくなら、〔万物は変化するものであり、自然と同一の人の心もまた次々と変化し、感情にもとづく表現も変化多様なのであるから、〕どうして限定された狭い枠に分類されることがあろうか、あるはずがない。

    →第5篇へつづく…

    第5篇 書表現の基盤と段階

    孫過庭の「書譜」#5
    孫過庭の「書譜」#5

    さてまた、運筆の方法は、各人がそれぞれ自分で工夫するものだが、その際にも書の規範として何らかの手本が目の前におかれる。その手本を臨書して習うのに少しでも筆遣いがくるうと、まるでかけ離れたものになっていまう。しかし、臨書のコツを理解すれば、どのような書でもうまくいくことができるだろう。だからできるだけ細やかな心くばりをし、練習にはげまなければならない。もし運筆が熟練しきり、書法が胸中にうかぶようになれば、筆は自然とゆったり動き、心の中の思いが先だって筆はそのあとについてくるし、何のこだわりもなく、筆はいきいきと動き心は空高く飛びはねる境地に至るだろう。その境地は、あたかもあの計理の達人桑弘羊そうこうようがどんな先々の経済に関しても予測できたように、またかの牛を解体する名人庖丁ほうちょうが牛を牛の姿としてとらえなくなったように、書も境地に達すると、作為的でなく自然でいて、しかも法にかなうようになるのと同じであろう。

    かつて、もの好きな人がいて、私に書を習いたいと言いだした。そこで私は、重要な点を列挙して順序にしたがって指導した。すると、その人は心にさとることができ、手は自由に動くようになり『荘子』にいう「概念的な理解を超越した悟りの境地」に達した。これは一例にすぎないが、こうした人はたとえまだすべての技法をマスターできていないとしても、いつかはきっと書の本質にいきつくことができるに違いない。

    ところで、思索しさくによって書の規範を理解している点では、若者は老人に及ばない。一方、手本を使った学習によって書法を習得することにおいては、老人は若者に及ばない。思索しさくは年をとるにつれて深まるけれども、手本による学習こそは若い時代に励んでおくべきである。学びつづける過程には、およそ3つの時期がある。その時期ごとに切りかえてそれぞれの段階を極めていく。ます、初期の点画の配置や構成を学ぶような段階には、ひたすら素直に正しく書くように心がける。素直に正しく書けるようになったら、できるかぎり強く奔放ほんぽうに、個性にむように書くことを追求する〔中期がこれである〕。そして強く奔放ほんぽうに書けるようになれば、ふたたび素直に正しく書くようにもどってくる。初期〔つまり初めの素直に正しく書く段階〕では「まだとても駄目だ」と思うが、〔強く奔放に書く段階の〕中期には「人より上手だ」と思うようになる。〔こうした時期を経て〕その後はじめて書の本質をさとった境地きょうちに行きつく。〔この後期の正しく整えて書く段階を極めるのは簡単なことではないが〕すべてに精通した最後の状態になってこそ、人も書も完成する。

    孔子こうし(論語で有名な思想家)は「50歳になって天が自分に下した使命をさとり、70歳になった自分は心のままに行動しても人の道から外れることがなくなった」という。書においても、前に言った素直に正しく書く段階から強く奔放に書く段階を経て、また素直に正しく書くという心境に到達することで、書の本質を体得することができると思う。このことはまるで、昔のある賢人が「よく考えてから行動すれば、まちがいなく」、「時期をよく見定めてから言葉にだせば道理にかなっている」と言うのと同じ境地である。

    こういうわけで、王羲之おうぎしの書も、晩年にすばらしい作品が多いのは、当然若いころより思慮しりょ深く書の本質をさとり、気持ちもなごんで、激しく怒ったり荒々しくなったりしなくなり、しかも人格が自然と完成してきたからであろう。しかし、こうした王羲之にくらべると息子の王献之おうけんし以降の人たちは、むやみに力がみかえり、気取って形や構成をつくろうっている。それらの人は、筆法が単におとっているということだけではない。芸術ではもっとも重要な、つまりは精神性においてもかけ離れているのである。

    また、人によっては、自分の作品をあえてあまり良い作品ではないとへりくだる人もいれば、自分の作品を自慢する人もいる。自分の作品に満足する人は、才能の限界にいきついてしまったのだから、成長の道を絶ってしまった人である。自分の作品を悪くへりくだるひとは、自分には才能がないとくじけてしまう人ではあるけれども、まだきっと書の本質にたどり着く可能性がある。まあ、学んでもあまり上達しない人もいるだろうが、学ぼうとしないで上達する者は決していない。これは日常の具体的なことがらを思い浮かべればわかることだろう。

    しかしながら、書の剛柔虚実といったものは変化多様であり、そのおもむきもさまざまである。ある場合には、剛・軟といった相反する要素を組み合わせてをで統一するとおもえば、あるときには力をこめたり奔放ほんぽうにしたりして書風を区別する。さらりとゆったりして、しかも内面には筋骨を組み込んだものがある一方、ぎざぎざと外に鋭い穂先ほさきのさばきの見事さを示しているものもある。だから古人のいろいろな書を観察する場合にはとても細かく見なければならないし、臨書するときには、その筆跡の全体の形に似るように心がけなければならない。まして、臨しても似せることができず、観察も細かくできず、文字の形はすき間だらけで、形にしまりがないような学習の仕方をするのは、言うまでもなく良くないことだ。水の中をおどる竜のような線であると彼らが自負しても、ちっとも美しさはないし、老婆ろうばが身のほどにもなく、後世の美女・西施せいし(春秋時代の越国の美女)をまねて井戸をのぞいた昔話は、身の程知らずで不快であることは多くの人が聞き知っている。こうした思いあがった者が、自分の書をたとえ王羲之おうぎし王献之おうけんしに匹敵すると言ったり、鍾繇しょうよう張芝ちょうしの書をつまらないとこじつけても、どうして現代の見識がある人の目をくらまし、後世の批評家の口をふさぐことができようか。古人の書をしたって習おうとする者たちは、とくにこのような態度をつつしむべきである。

    また、まだゆっくりと運筆するコツをつかめていないのに、ひたすら強く速く書こうとしたり、速く運筆することもできないのに、かえって遅く重く書こうとしたりする者がいる。速い運筆は自然なおもむきをもたせるきっかけをつくるものであり、ゆっくりとした運筆はじっくり鑑賞にたえる趣をかもしだすための筆法である。したがって、速く書くコツを会得えとくした人が速い運筆とは逆にゆっくり書こうと意識するならば、将来的には書の美を会得する方向にむかうだろうが、はじめからゆっくりとした運筆ばかり練習していると、ついには書の美の本質からそれてしまうだろう。速く書けるのに速く書かないことが、いわゆるゆっくりと運筆するコツをつかめたというのであり、ゆっくり書くことからはじまってゆっくり書くことに終わるのはコツをつかめたとはいわないから、深い趣をかもし出す方法とは言えないのである。あのことの名人嵇康けいこうがいうように「心はのどかに手はすばやく」というようでなければ、このゆっくり書いたり速く書いたりするコツの両方を身につけるのは難しい。

    たとえ多くのすぐれた技法を身につけていたとしても、〔書に骨格が備わらなければ完善ではないから〕骨気こっき(文字の骨格)をもたせるように心がけるべきである。骨気が備わったら、遒潤しゅうじゅんうるおい、骨の周りの肉にあたる)を加えるべきである。冬における松柏しょうはく(一年中葉の緑をたもっている木)に例えればまるで枝を四方に張って、霜や雪をしのいでさらにがっしりとし、春には花が咲き葉がしげって、雲や日が照り映えているようになる。ただしかし、もし骨気こっきだけが強く、遒潤しゅうじゅんさに欠けるようになると、それはまるで枯れた切り株が断崖にかかり、大きな石が道をふさいでいるようなものである。けれどもこうした書はつややかな美しさに欠けてはいるけれども、骨格を備えているのでかたちの本質は備わっている。これとは反対に遒潤しゅうじゅんさが強く、骨気こっきが劣っている書は、まるで、あの芳林園の美しい花が、地面に落ちてむなしく照り輝いて頼りなく、蘭池にただよう浮草うきくさのように、いたずらに青々として寄る辺がないのと同じである。骨気こっき遒潤しゅうじゅんのどちらか一方をこなすことは簡単であっても、両方を兼ね備えて最善を極めることは簡単ではないことが理解であきるであろう。

    書を学ぶにあたっては、だれか1人を師として学んでも、学ぶ人ごとに変化していろいろな書風をつくり上げる。学ぶ人の個性のちがいによって、書風もちがってくるのだ。誠実な人は型にしばられる欠点がある。おおざっぱな人は基本的な書法を失う。おだやかすぎる人は軟弱でゆったりしすぎることがある。せっかちな人は落ち着かない。警戒心けいかいしんの強い人は歯切れが悪い。のろまな人はにぶい。軽々しくて気持ちにゆとりがない人は事務的な書になってしまう。これらはどれも独学者のかたよったたしなみによって書の本質からずれてしまったものである。

    周易しゅうえき』に、「自然の運行を観察して時の変化を明らかにし、人文現象を観察して天下の人々を教化育成するべきである」と言っている。自然の道理を筆墨によって具象化する書の趣が、「自分の身近な体験からくみ取ってゆく」ものであってみれば、なおさらである。もしまだ運筆が未熟で、技術が熟達していなくても、波のように躍動やくどうする筆の動きは、すでに心の奥底から現れているのである。したがって書を学ぶ者は積極的に広く点画の本来のすがたに精通し、普遍的な理法を探求して、虫書・篆書〔のような古体文字〕や、草書・楷書〔のような通常通行書体〕を十二分にこなさなければならない。〔これを例えるならば〕5書体(篆・隷・楷・行・草)の併用を体得すれば、変化ある数々の形が生まれ、八音(8種類の楽器のことをさすが、ここでは「5書体」の対語で筆意に例えたもの)が次々にかなでられ〔新しいハーモニーが〕形づくられるように〔いろいろな種類の書体や筆意を融合させることができたなら、それこそその書は人の心に〕、無限の感動を与えるであろう。

    点画に関しては、数多くの点画を並べひいてもその字形はそれぞれ違いがあり、1つの点画は1字の基準をなし、1字はそこで作品全体の基準となり、部分的には互いに異なっていても他の部分のさまたげにはならず(点画それぞれに違いはあるが、全体としては調和しているという意味)、調和しているが混ざり合わず、また、遅く書いてもすべての部分が遅いというわけではなく、さらさらと速く書いてもいつも速い運筆だというわけでなく、墨がれてきたかと思うとうるおいをもち、濃い墨がつやっぽく美しいかと思うと枯れて渋いおもむきとなり、ほうえんきょくちょく(書の法則)の法則性から逸脱いつだつし、いま形を現したかと思うとすぐくらまし、あるいは勢いが進み、あるいは内へこもって、運筆の変化にって姿態の変様のかぎりを筆先に集中させ、感情の調子を紙の上に表現して、心のままに手が動き、書の法則性から無心になるような境地に達したならば、王羲之おうぎし王献之おうけんしの書法に反しても悪くはないし、鍾繇しょうよう張芝ちょうしの書法と違っていても、やはりすばらしい書であるということができよう。

    以上のことを例えてみれば、かの絳樹こうじゅ青琴せいきん〔のような美人〕は、容姿はちがっていても、どちらも美しいし、随珠ずいじゅ和璧わへき〔のような珍宝ちんぽう〕は、材質は違っていても、美しいことに変わりはないのと同じである。だから鶴を彫刻したり竜を描いたりししたものが、実物の鶴や竜に似ていないからといってちっとも恥じることはない。〔それは彫刻にしても絵画にしても、模写だけが本当の目的でないのだから。したがって、『荘子』にいうように、魚や兎をとるのに漁具やわなは必要であっても〕魚や兎を手に入れてしまったら、捕獲する手段としての漁具やわなはもういらなくなる。〔これと同じように、書の学習に規範は手がかりとして必要であっても、筆法を身につけたあとは、規範にこだわる必要はない。〕

    第6篇 書の妙境と批判

    孫過庭の「書譜」#6
    孫過庭の「書譜」#6

    こんな言葉がある。「家に南威なんい(古代の美女の名)のような美人をめとっていてはじめて、善良で立派な女性について論じることができ、竜泉りゅうせん(楚の宝剣)のような名剣を所有してはじめて、剣の切れ味について論じることができるのだ」と。〔同じように、書に精通してはじめて、書を品評する資格をもてるのであって、『周易しゅうえき』にもいっているように〕物事を語るときに自分の分際ぶんさい(身のほど)を越えると、その言葉はかえってはずかしめをまねくであろう。

    以前私は、工夫をこらしてとても満足のいく作品を書けたときがあった。その作品を世間で鑑識眼を称賛されている人と会うたびにこの作品を見せたが、彼らはその作中のよい所にはいっさい目をとめず、かえって失敗したところを称賛された。このような人は、本当に見る目があったのではなく、耳にしている知識だけをうのみにしているだけである。その中には、年齢や官職の地位で自分を誇り、人を見下して軽々しくけなしつけてしまう者もいる。〔こうした人たちはその作品を見ているのではなく、人を見ているのである〕。そこで私はその作品にりっぱな表装をして、古めかしい名品のような題名をえてみた。すると、おまえら方は前とは態度がうってかわり、無知なやからまでが相槌あいづちをうち、競って筆先のちょっとした技をめはしても、筆法のあやまりを批評する者はほとんどいなかった。

    〔以上は、真の鑑識はとても難しいという私の体験した例であるが〕これはまるで、かの恵侯けいこうが〔王羲之と王献之の書を収蔵したものの、2人の名声に目をくらまされ、〕偽物を大切にしていたのと同じであり、葉公しょうこうが〔竜の画を好んだものの、実際に竜が目の前に現れたら〕、本物におじけづいて逃げ出したという話に似ている。こうしたことから考えてみると、かのことの名人・伯牙はくがが、〔彼の音楽を真に理解した鍾子期しょうしきの死後、二度と〕ことかなかったという話は、なるほど当然のことだと納得させられる。

    そもそも、〔音色の真を聞きわける〕蔡邕さいようが鑑賞をまちがえなかったという話、〔馬のよしあしを見分ける名人の〕孫陽そんようがそうやすやすと鑑定しなかったという話も、彼らの奥深い鑑識力が本質を見とおせたから、耳や目という感覚だけにとらわれなかったのである。もしも、かまどではじけるきりの木の美しい音を聞いたとき、蔡邕さいようでなく、並の耳をもった人でもすばらしい響きだと気づき、名馬が馬小屋に飼われているのを見て、ふつうの鑑識眼しかない人にも千里の馬だとわかったとしたら、蔡邕さいようがをほめたたえる必要もなければ、王良おうりょう伯楽はくらく(ともに馬のよしあしを見分けるのにすぐれていた人)もうやまわれるこのはないのである。

    蔡邕さいよう逸話いつわに、炊飯すいはんきりの木をくべている者がいる。蔡邕さいようはそのはじける音を耳にし、良木にちがいないと思い、燃えかけの桐材きりざいをつかってことを作った。その琴は実によい音色が出たという。

    老婆は、王羲之が売り物のおうぎに書したことを、もう商品にならないとはじめはうらんでいたが、そのおうぎが高く売れたから、もう一度書いてほしいと後には頼んだという話や、王羲之の弟子が机に書いてもらったその書を、父親に削られてしまって子はくやしがったというような逸話も、また書の価値を理解できるかできないかの違いを示すいい例である。

    「一人前の人間は、自分を理解されない時には志を無理に通そうとはせず、身を屈しているが、自分の本当の価値を理解してくれた時にはのびのびと力を出すものである」というではないか。そのように書のわからない人は、もともと価値を見分ける能力のない人で、相手にならないのだから、いまさら不思議がらなくていい。

    だからこそ『荘子』も、「朝にでてその日のうちに枯れるきのこは一日の変化を知らず、夏の蝉は一年の四季の変化を知らない」と言っているのだし、老子も「つまらぬ男は、根拠のある事実を聞くと笑いとばす。彼らに笑われないようなことは、真理とするに十分でない」といっているのである。まさにそのとおりで、また荘子がいうように、はかない命しかもたない夏の虫に冬の氷を知らないからといってとがめたててみたところでなにも変わらない。〔書の本当の境地が理解できていないからといって、その人を責めたてても、いまさらどうしようもないのである。〕

    抜語 「書譜」にかける想い

    孫過庭の「書譜」#7
    孫過庭の「書譜」#7

    漢・魏の時代からこのかた、書を論評したものは多い。しかしそれは良いものと悪いものが入りまじり、また内容が整理されていない。ある人は昔の説をとってきて述べるだけで、結局は古い説のままである。またある人は新しい説を考えてみたものの、〔深い研究にによって考察されたものではないから〕ちっとも後の時代に役立たない。ただいたずらに繁雑はんざつなことをますます繁雑はんざつにし、誰も論述しないところは、いまだに不足したままにしてしまっている。

    いまここに私の見解を述べて6編とし、これを上下の2巻にまとめた。書の技法に関する考えを順序だてて述べ、これを『書譜』と名づける。私の願いは、一族の弟子たちがこの内容を規範として広めてくれて、天下の有識者で、私の見解を本当に理解してくださる人が、あるいは目を通してくださることにある。体得したことを秘密にしておくようなやり方は、私の好まないところである。

  • 風信帖に書法はない!?「率意の書」とはなにか

    風信帖に書法はない!?「率意の書」とはなにか

    書法について真剣に談論されている場で「書法、書法というけれどもあの有名な風信帖は手紙ではないですか」という人がいます。

    これは「風信帖に書法はない」ということです。

    一般に風信帖は率意そついの書とされています。

    ちなみに率意の書の反対は、用意よういの書といいます。用意の書は、事前に何をどう書くかを決めてから書くことをいいます。

    つまり「率意の書に書法はない」と言っていることにもなります。

    王羲之の書はほとんどが手紙です。

    でも十七帖をはじめ諸帖について、「書法はない」とは言わないですよね。

    一体、率意の書とはなにを言うのでしょうか。

    率意の書とは

    「率」は字源によると、てがる・かるかるし・わりあてる・あわただし・ありのまま正直・にわかなかたち・だしぬけ・おおむね・天真のままかざらぬとあります。

    この意味をふまえて風信帖を見てみても上の意味から考えつく率意はありません。

    もしこれを、咄嗟とっさの間、率然そつぜん(突然)として筆をって書いたものだから率意とする、というのなら分かりますが、作者である空海が最澄ほどの人物に贈る手紙に突然思いつきで筆を執るという意味の率意はないと考えたいです。

    率意の書は、ある書をつくろうという意図によってなされるものではないということです。傑作けっさくを書こうという野心はなく、書き終わった手紙をかえりみることはありません。

    お酒に酔った状態で書いた字は二度とまねできないほどすばらしいと評価する文もあります。

    一方、またお酒に酔っぱらって無為に書くのは不可とすると明言した古名家もいます。

    いたずらに酔いにまかせてのなぐり書き、一気にさっさと書いたものだからすばらしいと称賛するようなことは、学書者をまどわす不謹慎な態度としなければならないというのです。

    王羲之の蘭亭序も率意の書とされていますが、現代に伝えられている蘭亭序は王羲之がお酒に酔いながら書いた下書きなんですよね…(笑)

    王羲之は蘭亭序の清書を書きあげるために後日数十百本書いたと伝えられていますが、結局酔った状態で書いた下書きが一番良かったそうです。

    酔った状態で書いたのはあくまで下書きで、あとからちゃんと清書を書こうとしていたことから、不謹慎な態度ではないとしましょう。

    まとめ

    率意の書とは、意図的に良い作品を書こうとねらって書くものではなく、意識せず書いたものが自然ですばらしいという意味だということが分かりました。

    冒頭で書いた「率意の書に書法はない」についてですが、たしかに率意の書はねらってその字を書いたわけではないので、書法とはちょっと違うのかもとも思えます。

    風信帖は作品全体が自然ですばらしいと評価されていることから、風信帖から学ぶべきものはその自然な雰囲気なのです。

    でもその自然な雰囲気を表現するためにはまず字の形、つまり書法が大事になってくるわけです。

    つまり、風信帖にも書法があると考えていいと思います。

    風信帖のような率意の書を書けるようになるために、まずはその書法(字形や筆遣い)を学びましょう!

  • 書道作品を批評するときに使われる筆勢・筆意ってどういう意味?

    書道作品を批評するときに使われる筆勢・筆意ってどういう意味?

    書道の作品を批評する文章によく出てくる「筆勢」「筆意」ってどういう意味なんでしょう?

    「筆法」「筆勢」「筆意」はともに書法の3要素です。

    「筆法」は点画を書く技術的なものなのでわかりやすいと思います。

    「筆勢」「筆意」はなんとなく雰囲気で感じ取れる気はしますが、抽象的でわかりにくく、実際にどう生かしていけばいいのかわりにくいですよね。

    今回は「筆勢」「筆意」の意味について、抽象的になってしまうかもしれませんが、解説していきます。

    筆勢とは?

    筆勢はさまざまな点画が表現するそれぞれの特殊な形状の姿勢の書き方を指します。

    字の形の中における点画の位置の違いによって、各書家の用筆の方法と形の造形の特徴は違ってきます。

    「筆法」とはどんな点画を書くときでも必ず守らなければならない基本的な技術です。

    それに対して、「筆勢」とは字の形の違いや人の性格、時代の雰囲気の違いなどによって、点画が備える大細や長短、曲直、方円、平側、巧拙こうせつなどの特徴を指します。

    「筆法」のような「原則」を変えてはならないものとは違うのです。

    そのため私たちが書道を学ぶのに正しい技法を用いればすぐに「筆法」を身につけることはできます。

    それに対して臨書で例えると、臨書とは各書家・各流派の風格を学ぶものです。

    これはつまり各書家・各流派の異なる筆勢を学ぶことであり、古人がどのような筆遣いでその点画の形を作り出したのかを探り出すことです。

    つまり、字の点画の形、点画の組み合わせと配置はすべて「筆勢」に属するのです。

    筆意とは?

    筆意は書道の作品のおもむきや気品、風格などを指し、点画の姿や字の形の中に表現されます。作品全体の優れた趣や格調が現れる主要因ということになります。

    筆意は抽象的で捉えどころがないものですよね。

    しかし、作品の中で書家の精神、またはその作品を書いた時の感情を最も高いレベルで表すことができるものなのです。

    その人の様子や精神などはすべて「筆意」のなかに現れています。

    「書は心画なり(書は人の心を描く)」とはつまりこの道筋なのです。

    筆意がある・ない

    筆意がある・ないは、書家の技術水準以外に、精神と感情が表現されるために、主に品格の修練と学問の蓄積と美的感覚の高い・低いが関係します。

    それと同時に、創作過程における喜怒哀楽などの感情や天候、地理、気候などの条件もすべて創作に影響する重要な要素です。

    「筆勢」「筆意」のまとめ

    「筆勢」はその影響を及ぼす範囲が1番広く、書道の学習のもっとも具体的な内容であり、なおかつ点画の形状の「形成」を理解し、字形の変化を生み出す原因を明らかにする主要なものであり、腕まえが十分に表れる所となります。

    「筆意」とは、つまるところ高い基礎技術の上に、さらに作者の品格や学問、美的感覚の修養しゅうようなどを表すものということです。

    作品から筆意を感じとることができれば、そこから書家の品性を見抜くことができるのです。

    作品批評で使える比喩表現(熟語)の紹介

    「筆勢」「筆意」以外にも、点画の形状や字形を具体的に表すのに比喩を使ってその用筆の趣を表現することがあります。

    作品批評で使える比喩表現(熟語)を紹介します。

    折釵股せっさこ…かんざしの股のまがりのような力強い曲折

    屋漏痕おくろうこん…運筆の時にわずかに止まること。または、起筆のときに筆先を点画の中に隠すこと

    錐画沙すいかくさ…砂に錐で書くように、しっかりと力強く書くこと

    印印泥いんいんでい…泥に印を押すようにしっかりと書くこと

    坼壁たくへき…壁の割れ目のような自然な配置

    銀鈎蠆尾ぎんこうたいび…曲がった釘、サソリの尾のような鋭く強い筆法

    鉄画銀鈎てつかくぎんこう…点画が力強く、しなやかな美しさを持つこと