カテゴリー: 草書

  • 【狂草を作った書家】張旭(ちょうきょく)について詳しく解説・代表作品も紹介

    【狂草を作った書家】張旭(ちょうきょく)について詳しく解説・代表作品も紹介

    張旭(ちょうきょく)は中国のとう時代(7世紀ごろ)に生きた書家です。

    草書の名手として知られ、草書の中でも狂草きょうそうというジャンルを生み出した人です。

    狂草を受け継いだ懐素かいそとあわせて「張顚素狂ちょうてんそきょう」とも呼ばれています。てんきょうはそれぞれ、張旭と懐素に対する人物評語です。

    今回は、狂草を生み出した張旭ちょうきょくとはどんな書家だったのかを解説し、代表作品も紹介します。

    張旭の基本情報

    張旭像
    張旭像

    張旭ちょうきょくは、あざなは伯高、(現在の江蘇省こうそしょう蘇州そしゅう)の人です。

    官職は左率府さそつふ(警備にあたる官庁)の長史ちょうし(古代の官職)にまで出世したので、後世、張長史ちょうちょうしとも呼ばれます。

    草書の名手であるという以外、詳しい伝記のわからない人物で、正確な生年と没年も明らかではありません。

    唐の蘇渙そかん懐素上人草書歌かいそしょうにんそうしょかに、「張顚没来二十年」という句があり、かりにこの詩が作られたのを、懐素かいそ自叙帖じじょじょうが書かれた大暦だいれき12年(777)の前後とすると、およそ天宝てんぽう(742年 – 756年)の年末ごろまで生存していたことが推定できます。

    唐時代の文豪である韓愈かんゆは「張旭は他の技能に手を染めず、草書に専念した」といいますが、書に関する逸話は多く残っています。

    とくに有名なのは、“詩聖”杜甫とほの「飲中八仙歌いんちゅうはっせんか」に「張旭3杯、草聖伝う、帽を脱ぎあたまさらす王公の前、ふでり紙にけば雲煙のごとし」とうたわれたことでしょう。

    酒好きで、酔っぱらうと奇声をあげながら草書を揮毫し、ときには頭髪に墨をつけて書きました。

    酒の酔いがさめると、自分の作品を見て、神を得たとし、もう1度同じものを書くことはできないとして感じ入っていました。

    そんな彼を人々は“張顚ちょうてん”と呼びました。

    張旭の書学歴

    張旭ちょうきょくは、おじにあたる陸彦遠りくげんえんに書法を習ったといいます。

    陸彦遠の書法は王羲之おうぎしを基にしているため、もしこれが真実なら、張旭も王羲之書法の脈流を受けているでしょう。

    一方、張旭自身は「公主(内親王)の輿こしかつぐ人夫が道を争うのを見て、また鼓吹を聞いて筆法を会得した。また公孫(伎女の名)の“剣器舞”(舞踏の演技名)を観て書の真髄しんずいさとった」と言っています。

    ただ目の前にある特定の現象にもとづいて書法の発想を求めているのです。

    張旭は、こうした独自の技法と酒に酔って我を忘れている状態で書作したのでしょう。

    しかし、そうした彼の普通から逸脱いつだつした草書が本物であると信じれる作品は1つも伝わっていません。

    張旭の作品を紹介

    ここからは張旭の作品を紹介していきます。

    張旭の作品はほとんどが石に刻された碑帖ですが、最初に紹介する古詩四帖こししじょうは肉筆で書かれています。

    草書古詩四帖(こししじょう)

    張旭の作品「草書古詩四帖」
    張旭「草書古詩四帖」

    草書古詩四帖そうしょこししじょう:1紙、縦29.1㎝で5種類の色ちがいの彩箋を接いだ195.2㎝の巻子装です。遼寧省博物館に現蔵されています。

    いかにも普通から逸脱いつだつした草書ではありますが、結構はゆるみ、点画も浮薄なところが目立ちます。

    またその「自言帖」なども、張旭が創始したと伝える“折釵股せつさこ”めかした筆法を随所にみせていますが、技術は劣っています。

    じょ邦達ほうたつ氏は、黄庭堅こうていけんの証言によって、こうした放縦ないわゆる“狂草”は、晩唐の亜栖あせいの手によるものだろうと言っています『古書僞訛考弁』。

    顔真卿がんしんけいが「張長史は、姿性は顚佚てんいつであるが書法は極めて規矩にかなっている」といい、黄庭堅は「どの字も法度にかなっている」と評価しています。この「規矩」「法度」は、すなわち王義之の書法の規範をさしています。張旭の逸話のどれもが、書くときの状態が変わっているというのであって、作品が変わっているとは言っていないのです

    晚復帖(ばんふくじょう)

    張旭の作品「晚復帖」
    張旭「晚復帖」

    晚復帖ばんふくじょうは、淳化閣帖じゅんかかくじょうの第五巻に収められています。

    しかし、二王におう王羲之おうぎし王献之おうけんし)の草書の典型を学んだ痕跡がうかがえます。

    張旭の本領は、連綿草ではあっても字の形は確かで筆勢が力強い書風であったと思われます。

    郎官石記(ろうかんせっき)

    張旭の作品「郎官石記」
    張旭「郎官石記」

    開元29年(741)

    張旭の作品と言えばほとんどが年紀不詳の草書ですが、楷書の作品もあり、その年紀は明らかとなっています。

    原石は北宋の末に失ってしましました。

    郎官(郎中と員外郎)に任ぜられた人名とその年月を刻し都庁に建てた、これはその序文で「郎官石柱記」「郎官庁壁記」ともよばれます。

    蘇軾そしょくは「簡遠な書風で、あたかも晋宋の書人の作のようだ」と評価していますが、この書には南朝風の楷書の趣が色こくただよっています。

    厳仁墓誌(げんじんぼし)

    張旭の作品「厳仁墓誌」
    張旭「厳仁墓誌」
    張旭の作品「厳仁墓誌」
    張旭「厳仁墓誌」部分

    天宝元年(742)

    1991年、河南省偃師えんし県で出士しました。

    末行に「呉郡張旭書」と銘記されています。

    書体は郎官石記と同じ楷書ですが、書風は異なり、右肩下がりの字がまじり、波法の扱いに一貫性がなく、左払いや懸針の呼吸が短いです。

    また後半3分の1ほどは、結構のゆるい字が目立ち統一感に欠けます。

    しかし郎官石記にみかける別字が、この墓誌にも同一体につくること、また両方に共通の用字が30個ほどありますが、共通の筆ぐせであることなどによって、張旭本人の書とされています。

    文字を刻した人の腕のせいもあって郎官石記より一格劣りますが、重要な発見です。

  • 懐素(かいそ)が書いた狂草の書風の特徴、代表作品を紹介

    懐素(かいそ)が書いた狂草の書風の特徴、代表作品を紹介

    懐素(かいそ)は、中国とう時代に狂草きょうそう(草書の種類)を書いた書道家として有名です。磊落らいらくな性格で、酒を飲んでは心のおもむくまま、ところかまわず草書を書き散らしたといいます。

    今回は、懐素かいそとはどんな書家なのかを解説した後に、彼の書風の特徴である狂草について、代表作品も紹介していきます。

    懐素について解説

    懐素像
    懐素像

    懐素かいそは、中国とうの8世紀後半に活躍した僧侶、書道家です。

    俗人としての苗字はせんといい、僧侶として出家しゅっけした後の僧名を懐素かいそと名乗りました。あざな蔵真ぞうしん湖南こなん零陵れいりょう県の人。

    出家(しゅっけ)とは

    出家しゅっけとは、これまでの生活や家族、友人など修行の妨げとなる世俗の生活を捨て、仏教の修行をすることです。

    生没はあきらかではなく、開元かいげん13年(725)ころ~貞元元年(785)ころとされています。

    貧しい家に生まれた懐素は幼いころに出家し、禅の修行に努めながら、書道によって心をきよさとりを求めました。

    郷里ではすでに書道家として有名でしたが、古人の名品を見る機会がないのを残念に思っていました。そこで一念発起し、大暦だいれき12年(777)都の長安ちょうあんに出ます。長安では名士たちと出会い、歴代の名品にもめぐりあうことができました。唐の四大家の1人、顔真卿がんしんけいにも会っています。

    書道家としての懐素

    懐素は、張旭ちょうきょくの弟子であり自分のいとこにあたる鄔彤おとうから、王羲之おうぎしの書法や、草書の極意を学びました。

    のちに顔真卿がんしんけいと知り合い、顔真卿から、家の天井や壁をつたって流れ落ちた雨漏りのあとを見て草書の筆法を悟ったという屋漏痕おくろうこんの話をききました。
    懐素自身もまた、風にしたがって限りなく変化する夏雲を見て、そこから草書の真髄を得たといいます。

    自由奔放な懐素の草書は「狂草きょうそう」と呼ばれて一世を風靡し、李白りはくらにも絶賛されました。

    懐素の特徴「狂草」

    懐素かいその草書の特徴は「狂草きょうそう」です。

    狂草きょうそうは、懐素より少し前の張旭ちょうきょくという書道家が、酒に酔った勢いで自由奔放ほんぽうな草書を書いたのが始まりです。張旭ちょうきょくは、ときに頭髪に墨をつけて書くということまでやってのけたらしいです。いわゆる宴会の余興のようなものでしょうか、パフォーマンスとしての書道です。

    懐素かいそも酒を飲んで酔うと、大声で叫びながらあたりを走り回り、やおら筆を執り草書を書きました。寺院の壁や堀、食器、着物など手あたり次第にどこにでも書いたので、伝存する作品が少ないです。

    懐素と同様に酒好きで奇行のおおい張旭ちょうきょくとともに、「張顛素狂ちょうてんそきょう」と呼ばれていました。

    懐素の書道にまつわる逸話

    懐素の書道にまつわる逸話を紹介します。

    • 書が好きでしたが、家が貧しく紙が買えなかったため、一万株もの芭蕉ばしょうを植えてその葉に手習いしました。その芭蕉の葉にちなみ、自分の書斎を緑天庵りょくてんあんと名付けました。
    • 葉を使い尽くすと、今度はうるしを塗った板に書いては拭き消し、書いては消し、を繰り返したため、こすれて板がすり減り穴があくまで書き続けたといいます。
    • 使い古した筆が山のようにたまると、筆を埋め、筆つかを作って供養しました。

    またお酒が好きで、酔うと好んで草書を書きました。
    かなりの大酒ぶりで、酔っぱらうと、寺の壁、里のしきり、衣装、お皿など、手あたり次第に書いたといいます。そのため、人々は「酔僧すいそう」と呼びました。

    歴代書道家による懐素の評価

    懐素は狂草という草書を書きましたが、彼の狂草に対する評価は人によってさまざまなようです。

    元の沈右(しんゆう)による懐素の評価

    元の沈右しんゆうは、懐素が書の奥義をよく継承していることをとても高く評価しています。

    懐素の書はみごとである。意のまま気の向くままに書かれ、変化の限りを尽くしているが、常に魏晋ぎしんの法度から離れていない」

    懐素が書壇においてかくも崇高な地位を得ることができたのは、

    「意のまま、気の向くまま」でありながら「魏晋ぎしんの法度を離れていない」という、相反する要素をうまく交わらせることができたからです。

    狂草に対する米芾(べいふつの評価

    懐素が出てきてから、草書で有名になる書家が相次いであらわれました。

    高閑こうかん䛒光きょうこうがその代表例であり、彼らによって狂草は後の世代へとつづいていきました。

    しかしこの狂草について、後の時代(そう)の人物である米芾べいふつが否定的な意見を論じています。

    張旭ちょうきょく俗物ぞくぶつ(無風流で金銭や世間の名声を第一としている)で古風を変乱したが、懐素になると少し平淡さを加えて、ようやく完成にいたったが時代のせいか高古さがなく、高閑こうかん以下はみんな居酒屋に掛けられるくらいのものであり、䛒光きょうこうはとりわけ憎悪すべきである」

    と評価しています。

    米芾しん時代の人(王羲之おうぎしなど)を参考にしなければ気格はいたずらに下品となるばかりであるといって、すべて晋人の風土に重点を置いてみている人物です。

    懐素の代表作品

    懐素の代表作品を紹介します。懐素の草書作品には2種類の傾向のものがあり、1つは狂草で、もう1つは伝統的な正しい草書です。

    • 自叙帖(じじょじょう)
    • 小草千字文(しょうそうせんじもん)

    以下詳しく紹介していきます。

    自叙帖(じじょじょう)

    懐素の自叙帖
    懐素の自叙帖 クリック/タップで拡大

    777年(大暦12年)
    台北・故宮博物院の所蔵で28.3×755㎝の紙本巻子装です。

    狂草の傑作である「自叙帖」は、狂草のなかでもとくに代表作品です。連続した線が多く、筆の動きは上下左右によく回転し、軽くて速いリズムが感じられます。

    内容は、自分の経歴を簡単に書いたあとに、親交のあった当時の名士たちが懐素のすぐれた書法をほめたたえる詩文を引用したもので、自己宣伝しています。

    小草千字文(しょうそうせんじもん)

    無紀年、799(貞元15年)頃
    みん時代の姚公綬ようこうじゅ(収蔵家)がこの作品を「1字が1金に値する」と評価したことで「千金帖」と呼ばれるようになりました。
    台北・故宮博物院の所蔵で、18.8×279㎝の絹本巻子装です。

    最晩年のこの作品は、老成した枯淡な境地を示す作品として知られています。
    1文字ずつ単体の草書で書かれた独草の形式をとり、平淡で古雅な趣があります。落ち着いた用筆法で、「自叙帖じじょじょう」とは正反対の傾向の作品です。

    千字文は識字を書道の教育教材として普及したいわばテキストであり、歴代の名家によって書かれた作例も多いです。

  • 蘇軾・黄庭堅・米芾が代表される宋時代以後、行草書の法帖が増えた理由

    蘇軾・黄庭堅・米芾が代表される宋時代以後、行草書の法帖が増えた理由

    欧陽詢おうようじゅんなど初唐の三大家などに代表される唐時代は、楷書の法帖が多いのに対して、蘇軾そしょく黄庭堅こうていけん米芾べいふつが代表される宋時代以降、行草書の法帖が多くなります。

    これには唐から宋にかけての文化の変革によるものがあると考えられます。

    今回は宋時代以後、行草書が増えた理由について考えていきます。

    宋の時代の書は意を取る

    みん時代の董其昌とうきしょう(1555~1636)は、「しんの人の書はいんを取り、唐の人の書は技を取り、宋の人の書は意を取る」(『容台別集』巻4、『書品』)と言います。

    これを受けてしん時代の馮班ふうはん(1620~71)は、「晋の人は理にしたがいて法生じ、唐の人は法を用いて意出で、宋の人は意を用いて古法具さに在り。これを知りて方めて帖を看るべし」(『鈍吟書要』)と言い、「晋の人は理を用い、唐の人は法を用い、宋の人は意を用いる」とも言っています。

    さらに、清の梁巘りょうけんは「晋は韻を尚び、唐は技を尚び、宋は意を尚ぶ。元・明は態を尚ぶ」(『評書帖』)と言います。

    董其昌とうきしょうが王義之・王けん之(息子)の二王に代表される晋時代、欧陽詢おうようじゅんなど初唐の三大家などに代表される唐時代、蘇軾そしょく黄庭堅こうていけん米芾べいふつの三大家に代表される宋時代の書風の特徴を韻・法・意の3つを説明すると、馮班ふうはん梁巘りょうけん はこの1文をふまえて少しアレンジした文章を書いたのでした。

    韻・技・意、理・法・意の意味を説明するとなると難しいのですが、一応、韻は風韻、理は自然の原理、法は技法、意は意趣いしゅというような熟語に置き換えられると思います。

    董其昌の考え方は基本的には今日でも受け継がれていて、唐時代と宋時代の書風に大きな違いがあることを認めています。

    唐から宋への変化は唐宋変革期といわれていて、この時代は中国だけでなく東アジアが大きく変化した時代と一般に認識されています。

    書風の変化もこのような変革と関係していることになり、宋の三大家はこの変革の時代に生き、多くの作品を残したのでした。

    唐から宋への変革

    顔真卿がんしんけいが活躍した安史あんしの乱以後、中国は社会・経済・政治・文化などのあらゆる面で変化します。

    唐の貴族政治から宋の中央集権的な官僚体制へ、貴族文化から士大夫したいふ文化へ、そして庶民の文化も盛んになってきます。

    書は士大夫の文化であり、彼らの書斎しょさいから生み出されました。

    文学では唐の韓愈かんゆのころから古文を復興させようという文学運動の動きがはじまり、この動きは文章や詩に新しい表現をもたらし、そして新しい思想を生み出しました。

    書風変化の背景

    このように唐から宋にかけての時代は変革の時代であり、書風も大きく変化したのですが、この変化にはいくつかの理由が挙げられます。

    まず、『宮崎市定全集 巻24』によると、唐時代までの書法は単帖の作品が代表され、宋時代以後は集帖の作品が代表されます。

    集帖派は多くの作品を見て鑑賞眼を養い、自分の趣味に合った書法を選択しました。

    宋の初めに『淳化閣帖じゅんかかくじょう』が作られ、以後、つぎつぎと集帖が作られましたが、書風の変化の背景にこのような法帖の変化が挙げられるのです。

    もう1つの理由に毛筆の発達が挙げられます。

    北宋の中期ごろから従来の巻き筆に代わって、筆の穂が柔らかい水筆すいひつが一般化したため、筆の機能を生かした柔らかい字が書けるようになりました。

    水筆が開発されたことによって宋人の意は表現しやすくなったのです。

    唐時代では優れた楷書作品が多いですが、宋時代になると少なくなり、行草書が中心となります。

    この背景には水筆の出現があるのです。

  • 孫過庭の書譜について、内容、書風、特徴を紹介

    孫過庭の書譜について、内容、書風、特徴を紹介

    孫過庭そんかていが文章の内容を考え、自身が書いたとされる「書譜しょふ」は、草書の名品として、またすぐれた書論しょろんとして、高く評価されてきました。

    今回は、孫過庭について、書譜の内容、書風、特徴を紹介していきます。

    孫過庭について

    孫過庭像
    孫過庭像

    孫過庭そんかていは、唐時代の書人です。孫過庭本人についての伝記には諸説があり、はっきりとしたことは分かっていません。

    あざな虔礼けんれい。呉郡(江蘇省蘇州)の人と言われています。

    その生きていた年も(648?~703以前)と定かではありません。

    孫過庭という名前についても、「書譜しょふ」の冒頭に「呉郡孫過庭撰」とあることから、孫過庭と言われていますが、陳子昂ちんすごうの「率府録事そつふろくじ孫君墓誌銘そんくんぼしめい」には名前が虔礼、字を過庭としています。

    出身地も、陳留(河南省)、富陽(浙江省)、呉郡(江蘇省)など諸説あり、官職についても右衛冑曹参軍率うえいちゅうそうさんぐんそつであったとも率府録事参軍そつふろくじさんぐんであったとも言われています。

    どちらも下級官職であることから、政治的にはほとんど無名であったようです。

    また、孫過庭は博学で、文章に優れていたと言われていますが、「書譜」以外は伝わっていません。

    書譜について

    孫過庭の「書譜」#1
    孫過庭の「書譜」#1(クリックで高画質表示)

    書譜しょふは、孫過庭が書について論じた自らの文章を、草書で書かれた草稿本です。

    幅44センチの紙を23紙継いだ役27×900センチ、全長10メートルにおよぶ巻子本です。全部で3727文字もある長文です。

    書譜が書かれたのは、唐の中頃。孫過庭が40歳前後の頃に書かれたと推定されます。巻末の款記かんき(末尾)によると、垂拱すいきょう3年(687)に書かれたとあります。ただし、落記は始め「元」と書きかけ、「三」と改めた形跡があります。

    現在は1巻に仕立てられていますが、分断された痕跡や亡失した部分、汚損などが見られます。幸いにも宋代にとられた拓本の太清楼たいせいろう帖本、薛氏せつし本(元祐げんゆう本)、安麓村あんろくそん本(天津てんしん本)、停雲館ていうんかん帖本、三希堂さんきどう帖本など数多くの刻本によってその亡失した部分の内容を補うことができます。

    書譜の内容

    孫過庭の「書譜」#2
    孫過庭の「書譜」#2(クリックで高画質表示)

    書譜の内容は、六朝時代の書論を基盤としながら、王羲之を典型にとらえ、漢・魏以来の名家や書論を評価し、書の本質や価値、学書に対する考えなどが書かれています。

    一般的に6編に分けられます。

    書譜の現代語訳はこちらの記事でまとめています↓

    第1篇(四賢論と王羲之への称賛)

    四賢(張芝ちょうし鍾繇しょうよう、王羲之、王献之)を書道史上の四大家として褒めたたえています。その中にも優劣があり、その根拠を説明しながら、最終的には王羲之こそが書の典型であるとしています。

    第2篇(書の概念と本質)

    書の本質について解説しています。具体的な各書体について言及し、書とはいかに表現されてきたか、またどのように表現されるべきかを考察。人間の性質と形質の関係にも触れた哲学的ともいえる内容です。

    第3篇(六朝時代からの書論の論評)

    六朝時代から今までの書論は単なる技巧論であると批判しています。彼は精神論にまで踏み込み、芸術の境地へ達するすべを明らかにするための論を展開していくべきだと述べています。

    やや序論めいた物言いで書かれていることから、現存の「書譜」はあくまで序論にすぎないのでは、という議論もあります。

    第4篇(技法と表現)

    運筆論を基として、執(用筆法)・使(直筆法)・用(曲線法)・転(点画法)の4つの技法を統合することが書の最も大切なところだとしています。また王羲之はそこに心法を加え、書が思想感情を表現する芸術にまで高めていると結論しています。

    第5篇(書学の段階と書の妙経)

    書学の段階を、平正→険絶→平正と対立(矛盾)する2つのモノを1つにして説いています。しかる後に人間としての深みが増し、それと共に書も熟達していくことが理想であると述べています。

    第6篇(書の妙経を得て初めて書を論ずることができる)

    芸術の境地に達した表現はなかなか欲眼では理解しがたいものがあるとなげいています。自分の書とその論の正しさを匂わせ、世間一般の凡識を批判しながら、芸術鑑賞論を展開していきます。

    書譜の名言を紹介

    ここからは書譜の中で有名な言葉を紹介していきます。

    1つ目は表にした方が分かりやすいと思ったのでそうしてみました。

    「合」(調子のよい時) かい」(調子の悪い時)
    心が和らいで余裕のある時あわただしく身体がだるい時
    感覚がえ何事もすぐ理解できる時気持ちを集中できず気力が充実しない時
    気候が穏やかな時空気が乾燥し炎天の時
    紙と墨がよくなじむ時紙と墨がなじまない時
    書いてみようと書作への意欲がふとわいた時感興がわかず手が思うように動かない時

    王羲之の書はいつの世も称揚され習う者が多い。書法として優れており、書学者の指針としてふさわしい。これは古今の書法に精通しているばかりではなく王羲之の書には気品があり、自然な趣をかもし出しているためである。

    思索しさくは年を取るにつれて深まるが、学習は若い時代に励むべきである。

    古人の書を学ぶとき、精緻せいち(非常に細かい点にまで注意すること)な姿勢で書かなければならない。臨書するときは、筆跡全体がそっくり似るように学習すべきである。臨書して似せることができず、細かいところまで観察・分析しない学習法では、古人の書境に近づくことはできない。

    書譜の書風・特徴

    孫過庭の「書譜」#3
    孫過庭の「書譜」#3(クリックで高画質表示)

    孫過庭は王羲之の書風をよくし、この書譜も王羲之の草書を基盤としています。

    唐の太宗たいそう皇帝が王義之を崇拝していた当時の風潮を反映しているのでしょう。

    そのため用筆は技巧的にも洗練されており、現代においても「十七帖じゅうしちじょう」と並んで草書の典型とされ、草書学習には欠かせない古典です。

    節筆

    書譜には「節筆せっぴつ」と呼ばれる箇所があります。幅約2,4センチ間隔の縦の折り目に筆先がぶつかり、点画の所々が独特な線の表情になっているところを言います。節筆の部分は太く変化しています。

    この節筆は偶然できたものですが、表現上多彩な表情を生み、書風の魅力の1つにもなっています。

    孫過庭の「書譜」#4
    孫過庭の「書譜」#4(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#5
    孫過庭の「書譜」#5(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#6
    孫過庭の「書譜」#6(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#7
    孫過庭の「書譜」#7(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#8
    孫過庭の「書譜」#8(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#9
    孫過庭の「書譜」#9(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#10
    孫過庭の「書譜」#10(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#11
    孫過庭の「書譜」#11(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#12
    孫過庭の「書譜」#12(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#13
    孫過庭の「書譜」#13(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#14
    孫過庭の「書譜」#14(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#15
    孫過庭の「書譜」#15(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#16
    孫過庭の「書譜」#16(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#17
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    孫過庭の「書譜」#18
    孫過庭の「書譜」#18(クリックで高画質表示)
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    孫過庭の「書譜」#19(クリックで高画質表示)
    孫過庭の「書譜」#20
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    孫過庭の「書譜」#25
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  • 智永の真草千字文:内容や智永の制作意図とは

    智永の真草千字文:内容や智永の制作意図とは

    千字文は、習字帖として古くから中国・日本で活用され親しまれてきました。

    今回は、千字文の現存最古の古典である王羲之7世の孫、智永の「真草千字文」について紹介していきます。

    智永について

    智永ちえい王羲之おうぎしの7世の孫。出家して呉興ごこう永欣寺ようごんじの住職となり、積年書を学び、彼の書を求めるものが多く訪れ、鉄門限といわれました。

    王羲之第1の名作といわれる蘭亭序は、智永の所有物だったとされています。しかしその後、唐の太宗皇帝に取り上げられてしまします。

    王羲之の子孫

    智永ちえい王羲之おうぎしの7世の孫です。

    要するに王羲之の遠い子孫で、王羲之の5番目の子供である王徽之おうきしの系統にあり、智永の本名は王法極おうほうきょくといいます。

    王羲之は東晋そうしん時代の名族中の名族でしたが、東晋が宋によって倒され、さいりょうちんと次々に南朝の政権が代わっていくうち、だんだんとその位置づけが気薄になり、智永のように僧侶の道を選ぶ者も出てきました。

    あだ名は鉄門限

    永欣寺ようごんじの住職をしていた時、智永に鉄門限というあだ名がありました。

    ここでいう門限とは門が閉じる時間ではなく、左右の門柱の下部に横渡よこわたしたた「しきみ」と呼ばれる木材のことを言います。

    門に入る、出るとはこの板を渡るかどうかを指しています。

    当時の仏教は、身分が高く教養のある人が信仰するもので、寺院は庶民がそうそう気安く出入りするところではありませんでした。

    ところが、智永は庶民にやさしく、気軽に字を書いてあげました。

    人気奮闘で参拝者はひきもきらず、その門限をどんどん踏んでいくので、いくら直してもすぐつぶしてしまいます。

    そこで智永はこれに鉄板をはめ直して頑丈にしました。

    そこで人々はそれを「鉄門限」と呼んだといいます。

    門限の角がすり減って丸くなっているお寺は見かけなくもないですが、鉄で補強するのはよほど珍しかったのでしょう。

    千字文について

    千字文は4字を1句とする250句で構成し、1字も重複しない1000字からできているのでこの名前がついています。

    千字文の成立

    千字文は中国りょう武帝ぶてい(464~549)が殷鉄石いんてっせきに王羲之の書を集め模写させ、その文字を使って周興嗣しゅうこうしに文を作らせたものとされています。

    梁の武帝は王羲之の書を愛好していたので、王子たちに書を習わせる手本として、殷鉄石いんてっせきに命じて王羲之の筆跡の中から1千字の模本を作らせました。

    その字はいろんな文から1字ずつ抜き出してできたものなので、ばらばらで文にもなっていませんでした。

    そのままでは学びづらいので、梁の武帝は、文章を書く才能があった周興嗣しゅうこうしに命じて文章として読めるようにしました。

    周興嗣は1字の重複もない4言で1対2句の整然たる韻文(詩・短歌・俳句のこと)にまとめ上げます。

    これが「千字文」です。

    千字文の内容

    千字文の内容は、すべてが一貫しているわけではありませんが、悠遠なる天地自然の理法から始まり、古来の人生観を織りまぜで人間の生き方にまで及んでいます。

    故事成語、魏晋以来の詩文等、儒家の経書、道家の著録、南朝の文人の作品にふさわしい思想背景がうたいこまれており、当時の思想背景を広くみることができます。

    もともと千字文は識字用に作られたものではなく、習字手本として作られました。

    千字文が普及した理由として、書としての素晴らしさがあったことは言うまでもありませんが、その中に多くの故事成語や興味深い古人の逸話などが盛りこまれ、韻を踏んだ素晴らしい文でつづられていたので、知識の習得もねて勉強することができたからでしょう。

    智永の真草千字文

    真草千字文は、中国の梁・陳から隋(6世紀ごろ)にかけて生きていた智永が書いたものだと言われています。

    各文字を真書(楷書)と草書で隣り合わせに書いていくもので「真草千字文」とよばれています。

    智永は梁末から生きていましたが、「千字文」を書写したのは隋代でした。

    智永は永欣寺に住んでいる間、真草千字文を800本も書写して江東(長江下流の南側)のたくさんの寺にそれぞれ1本ずつ配りました。

    800本を書写したと言われる「千字文」は、書を想像的に加工などという姿勢は全くなく、王羲之の原本に忠実な復元作業であったと言えます。

    なぜこれほどたくさんの本数を書写したかといえば、王羲之の子孫である自分が確かな書法を伝えたかったからだと予想されています。

    また、北朝の隋が南朝の陳を倒して天下統一をなした王朝であったことも影響しています。

    北朝勢力が南朝勢力を圧迫したことで、物事の価値観も北朝有利に働きました。

    王羲之は南朝の人だったため、王羲之の評価も急激に薄れてしまいます。

    その北朝支配に対しての抵抗だったとも考えられています。

    王羲之書法を自分の手で書き残し、後世に伝えたいという願いが智永の行動には感じられます。

    智永が写した千字文は唐宋時代にはかなり残っていたようですが、現存する真跡本は日本にある「小川本」のみで、ほかに拓本2種(関中本・宝墨軒本)が伝えられています。

  • 王羲之の十七帖について、内容や書風、特徴、いろいろな種類の拓本を解説

    王羲之の十七帖について、内容や書風、特徴、いろいろな種類の拓本を解説

    十七帖じゅうしちじょうは草書を習得するため古来より草書の典型とされ、多くの人に尊重されてきました。

    今回は、十七帖について、内容や書風、特徴、いろいろな十七帖の拓本を解説していきます。

    十七帖について

    十七帖(じゅうしちじょう)は、王羲之おうぎしの手紙29通を集めて石に刻したものです。

    王羲之のファンとして有名なとう太宗皇帝たいそうこうていが集めた3000枚にも及ぶ王羲之の筆跡の中から書きぶりが似ているものを厳選した法帖です。

    はじめの一通に「十七日先書」とあることから、その書き出しの「十七」をとってこのように呼ばれています。

    原跡は早くに失われ、現在見られるものはすべて複製されたものです。

    十七帖は草書のお手本として作られた

    十七帖はとう時代、太宗たいそう皇帝が文化政策を推し進めるために設けた弘文館こうぶんかんの貴族子弟への草書の手本として作られました。

    その根拠として、十七帖に掲載されている手紙29通をはじめから順を追って見てみると、構成には効果的な草書学習をねらったように思える工夫があります。

    初めは一か所の連綿もなく全て単体の草書で書かれていて、その書きぶりは整っており、わかりやすいです。

    しかし、全体の3分の1程度を過ぎたあたりからは連綿の箇所は増え、行の流れにも動きが出てきます。文字の大小などリズム感や変化も加わり、運筆の呼吸も感じます。

    その後、動きを止めた平静なものにいったん戻りますが、3分の2を過ぎたあたりからまたリズミカルな調子になります。

    そして最後の3通とても激しく書かれています。

    このように全体構成を見てみると、静かな単体の文字から、動きのある連綿れんめんのあるものへと、段階的に草書を習得させるという指導理念があるように思えます。

    十七帖を練習したい人は初めから順に従って臨書すると良いのではないでしょうか。

    十七帖の内容

    十七帖は、手紙29通を集めたものと紹介しました。

    3000枚にも及ぶ王羲之の筆跡の中から厳選した、と記録(『右軍書記』)に残されていますが、手紙の多くはしょく(現在の四川省しせんしょう)の地にいた親友の周撫しゅうぶという人物にあてたものです。

    内容はごくありふれた存間の短い文章ばかりですが、なかには王羲之の人生に対する思いが垣間見られるものもいくつかあります。

    特に、十七帖の中の〈逸民帖いつみんじょう〉や〈蜀都帖しょくとじょう〉などには王羲之が名門貴族であり東晋とうしんの枢要な人脈の中にありながら、政治の表舞台での活躍を望まず逸民として心の平安を第一とする彼の心情が吐露され興味深い内容です。

    十七帖の書風、特徴

    十七帖を草書の典型として練習する場合、点画の長短、曲直、細太、遅速、抑揚、疎密など、細かい点にまで注意して、特色を把握することが大切です。

    文字の上部が大きい

    文字の上部を極端に大きくした造形は、一見不自然にも見えますが、1字における空間の疎・密の関係、形、力量の変化などでバランスをとっています。

    このバランス感覚により、文字の大きさや明るさも表現することができます。

    偏と旁のバランス

    へんつくりのどちらか一方を大きくしたり、上にあげたりすることがあります。これにより1字の中に変化が生まれ、動きのある文字構成となります。

    中心線の移動

    上部と下部で大胆に中心線を移動させた文字が多くみられます。この移動により生じる字形の不安定感を、墨量や線の動きなどの力量関係、白の空間の巧みさでバランスをとっています。

    この字形は「喪乱帖そうらんじょう」「集王聖教序しゅうおうしょうぎょうじょ」にも多くみられ、王羲之独特な造形感覚です。

    いろいろな十七帖

    私たちは王羲之おうぎしの真跡が現存していなくても、過去に作られた複製品を通してその字を見ることができます。昔の職人や書家によって臨模りんもされたり、石に刻されたりしたものです。

    従って多少は臨模りんもした人のクセが加わったり、石に彫る側の意図や美意識が反映されたりするでしょうし、後の時代になるほど何度も作り直すことで当初の姿から大きくかけ離れてしまった可能性もあります。

    特に十七帖の場合は、東晋とうしん時代に書かれた王羲之の筆跡とその字が好きだったとう太宗たいそう皇帝が、貴族の弟子への手本として複製させたものとも言われています。

    したがって、草書の典型として後世の人々に尊ばれてきましたが、同時にいくつもの刻本がつくられました。そして現代にもいくつかの拓本が伝えられていますが、その表情もそれぞれ微妙に違いが生じてしまっています。

    十七帖の複製本は大きく分けて2つの系統に分けることができます。

    館本

    1つ目が、帖末に「勅」という字の押書がある「館本かんぽん」の系統です。

    館本系では、幸いにもそうの時代にとられた有名な拓本たくほんが日本にあります。「三井本みついぼん」「上野本うえのぼん」「欠十七行本けつじゅうしちぎょうぼん」が有名です。

    三井本

    三井本みついぼん」は手紙29通すべてがそろっていて、王羲之本人の筆跡に最も近いとされている拓本です。

    「三井」とは日本3大財閥である三井財閥の意味です。

    日本にもたらされてから貫名菘翁むきなすうおう巌谷一六いわやいちろく日下部鳴鶴くさかべめいかくを経て、三井家の聴氷閣ていひょうかく(拓本コレクション)に加えられたことから、この名前がついています。

    大きな特徴として、“断筆”といって、草書では切りはなさない転折の部分を、あえて2画で刻してあるのが所々に見られます。その断筆の効果によって、起筆や終筆が鋭く、力強い筆勢です。

    上野本

    上野本うえのぼん」は、上野理一氏の有竹斎ゆうちくさい(コレクション)に所蔵されたことからそう呼ばれています。現在は京都国立博物館に寄贈されています。

    この帖はゆったりとした運筆、無理のない筆使いで、自然な風趣に特色があります。

    ただ、中間で10行分を欠失していて、補修部分があり、「三井本」と比べると少し鮮やかさといったものは劣ります。

    欠十七行本

    欠十七行本」は、十七行目の欠落部分があることからそう呼ばれています。三井本・上野本に比べて少し筆勢にうねりが見られ、やや軽い感じがしますが、肉筆のような刻り方がされていておっとりしています。

    賀監本

    2つ目が、唐中期の賀知章がちしょうの臨本が元になっていると言われている「賀監本がかんぼん」の系統です。

    賀監本がかんぼん」は、 唐の賀知章の臨書と伝えられています。王羲之の雰囲気からはやや離れ、骨格も少し弱いように見えますが、鋭い線とおおらかなリズムが見られます。

    手紙の1通ごとに楷書の釈文がつけられていますが、先に紹介した「館本」には及ばないとされています。

    最後に

    ここまで十七帖について、内容や書風、特徴、いろいろな種類の拓本を解説してきました。

    書は人間性を表すとよく言われますが、表現しやすい草書はそれを体現する書体としてもっとも適しているのではないでしょうか。

    十七帖を練習することで、草書の用筆、造形の特徴を理解し、自由な表現が楽しめるようになりたいですね。

  • 草書とは?書道講師が教える書き方のコツ・覚え方・おすすめ古典

    草書とは?書道講師が教える書き方のコツ・覚え方・おすすめ古典

    草書(そうしょ)とは、漢字の五書体(篆書・隷書・楷書・行書・草書)のなかで最も簡略化された書体です。紀元前1世紀ごろ、隷書の早書きから生まれました。

    書道教室で生徒さんに草書を教えていると、「楷書と形が違いすぎて読めない」「どこをどう崩しているのかわからない」という声をよく聞きます。たしかに、草書は楷書と形がかけ離れています。しかし、省略のルールを知れば、一見バラバラに見える草書の世界が一気に整理されます。

    この記事では、書道講師の視点から草書の特徴・2000年以上の歴史・書き方のコツ・覚え方・おすすめの古典を体系的にまとめました。草書をこれから学ぶ方にも、作品制作に活かしたい方にも役立つ内容です。

    草書とは?30秒でわかる基本

    草書とは、漢字を極限まで省略・連続させて書く書体です。「草」には「下書き」「走り書き」の意味があり、正式な隷書に対するくだけた書き方として生まれました。

    草書の最大の特徴は、筆を紙から離さずに一気に書くこと。点画を省略し、連続させることで、流れるようなリズムと独特の美しさが生まれます。

    草書の読み方・意味

    草書は「そうしょ」と読みます。英語では「cursive script」と訳されます。「草」の字は植物の草ではなく、「粗い」「ラフな」という意味です。中国の後漢時代に書かれた『説文解字』の序文には「漢興りて草書あり」と記され、漢の時代にはすでに一般的な書体として認識されていたことがわかります。

    楷書・行書・草書の違い【比較表】

    書体の違いを理解するために、楷書・行書・草書を比較してみましょう。

    楷書行書草書
    省略度省略なし一部省略・連続極限まで省略
    書く速さ遅い(一画ずつ止める)やや速い最も速い
    読みやすさ誰でも読めるほぼ読める学ばないと読めない
    用筆トン・スー・トン(三過折)三過折を簡略化スー・トンや旋回運動
    美の特徴構造美・端正さ構造美+流動美流動美・リズム感
    成立時期後漢〜魏晋(最も遅い)後漢末〜魏晋前漢(最も早い)
    代表的古典九成宮醴泉銘(欧陽詢)蘭亭序(王羲之)十七帖(王羲之)

    意外に思われるかもしれませんが、「楷書→行書→草書」の順に簡略化されたわけではありません。実は草書が最も先に生まれ、楷書が最も後に完成した書体です。この順序を知っておくと、草書の成り立ちがぐっと理解しやすくなります。

    楷書についてさらに詳しく知りたい方は「楷書体とは?書道講師が教える特徴・歴史・7つの代表的な書風」で解説しています。行書については「行書とはなにか・練習方法・いろいろな行書の古典を紹介」をご覧ください。

    草書の5つの特徴

    草書にはほかの書体にない独特の特徴があります。ここでは、草書を理解するうえで欠かせない5つのポイントを紹介します。

    1. 点画の省略と連続——筆を紙から離さない

    楷書では一画ずつ筆を止めて書きますが、草書では画と画のあいだで筆を離しません。実際には存在しない「つなぎの線」を書くことで、驚くほど速く書けます。

    私が生徒さんに草書を教えるとき、まず「楷書の筆を止める癖を忘れてください」と伝えています。楷書のリズムが体に染みついていると、どうしても一画ごとに止まってしまう。草書では、その「止まる」をやめることが第一歩です。

    2. 同じ字でも複数の崩し方がある

    楷書の「道」はだれが書いても同じ形ですが、草書の「道」には何通りもの崩し方があります。時代や書家によって字形が異なり、縦長になったり横に広がったりと、ひとつの字に複数の「正解」が存在します。

    ただし、崩し方には許容範囲があり、草書にもルールはあります。ほんの少しの点画の違いで別の字になることもあるため、正確に覚えることが大切です。

    3. 楷書の構造美 vs 草書の流動美

    楷書の美しさは建築的です。一画一画が柱や梁のように組み合わさり、端正で安定した姿をつくります。

    一方、草書の美しさは川の流れに似ています。筆の速度、リズム、強弱の変化が連続して生まれる流動美です。墨を含んだ筆が紙の上を走るとき、かすれや潤いが自然に現れ、二度と同じ表情は生まれません。草書を書くたびに、その瞬間だけの一期一会の線が生まれる——それが草書の魅力です。

    4. 芸術的表現に最適な書体

    草書は実用的な場面にはあまり向きません。草書の省略法を知らない人には読めないからです。手紙の宛名を草書で書いたら、郵便配達員が困ってしまいます。

    しかし、芸術的な表現という点では、草書は五書体のなかで最も自由度が高い書体です。字形が動的で、書く人の感情がそのまま線に表れます。喜びも悲しみも、激しさも静けさも、筆の動き一つで表現できる。書道展の作品に草書が多いのは、この表現力の豊かさが理由です。

    5. 曲線と旋回運動が生む多彩な線

    草書では、直線的な画が省略されるにつれて、多くの点画が曲線に変わります。筆の運びは旋回運動が中心で、とくに右回りの動きが多いのが特徴です。

    筆圧の強弱、速度の緩急、墨量の濃淡——これらが組み合わさることで、太い線・細い線・かすれ・にじみなど、驚くほど多彩な表情が生まれます。筆の弾力を最大限に活かせる書体でもあり、上質な筆を使ったときの気持ちよさは草書が一番だと私は思います。

    草書の歴史——楷書より先に生まれた書体

    「楷書を崩したのが行書、さらに崩したのが草書」——こう思っている方は多いのですが、実は逆です。書体の成立順は「篆書→隷書→草書→行書→楷書」であり、草書は楷書よりも数百年早く生まれました。

    草書の古典作品例——行草書巻
    草書の古典作品例

    紀元前1世紀:隷書の早書きから誕生

    草書は隷書(れいしょ)の早書きから生まれました。紀元前1世紀ごろの出土資料を見ると、隷書の波磔(はたく=右払いの装飾)とリズムを残しながらも、大幅に省略された文字が見つかっています。

    当時は竹簡(ちくかん)や木簡(もっかん)に文字を書いていました。役人が大量の文書を処理するために速く書く必要があり、その実用的な要求から草書が自然発生したと考えられています。

    隷書について詳しくは「隷書(れいしょ)について学ぼう【書き方・特徴・歴史・古隷と八分隷】」で解説しています。

    後漢〜西晋:簡略化と整理の時代

    後漢(25-220年)から三国時代、西晋へと時代が進むにつれて、草書の簡略化と整理が進みました。西域から出土した晋代の木簡や残紙には、初期の素朴な草書から徐々に洗練されていく過程が記録されています。

    この時期の草書は、書体としての構造や用筆はまだ素朴でしたが、後漢末に張芝(ちょうし)という書家が「今草」と呼ばれる新しい草書体を確立しました。張芝は「草聖」と称えられ、後世の草書に大きな影響を与えています。

    東晋:王羲之が草書の美を完成させた

    草書を芸術として完成させたのが、東晋の王羲之(おうぎし、303-361年)です。王羲之は楷書で確立された三過折(トン・スー・トンの筆法)の原理を草書に取り入れ、それまでの素朴な草書を格調高い芸術に昇華させました。

    王羲之の草書の代表作『十七帖(じゅうしちじょう)』は、友人への手紙29通をまとめたもので、実用の中に芸術が宿る最高の手本です。この作品は、1600年以上たった今でも草書学習の最高峰とされています。

    王羲之がなぜ「書聖」と呼ばれるのかは「王羲之(おうぎし)について解説/王羲之とはどんな人物だったの?」で詳しく紹介しています。

    唐代:孫過庭『書譜』——草書理論の集大成

    唐の時代になると、孫過庭(そんかてい)が687年に『書譜(しょふ)』を著しました。書譜は草書で書かれた書論であり、草書の書き方を草書そのもので実践して見せるという、理論と実技が一体になった稀有な作品です。

    同じく唐代には、懐素(かいそ)の『自叙帖(じじょじょう)』(777年)のように、酔いに任せて一気に書き上げたと伝わる豪放な草書作品も生まれました。張旭(ちょうきょく)とともに「顛張狂素(てんちょうきょうそ)」と呼ばれ、草書の自由な表現の可能性を極限まで押し広げています。

    日本への伝来と「ひらがな」の誕生

    草書は奈良時代に中国から日本へ伝わりました。平安時代になると、日本人は草書をさらに崩して、日本独自の文字「ひらがな」を生み出しました。

    たとえば「安」の草書を崩すと「あ」に、「以」の草書を崩すと「い」になります。普段何気なく使っているひらがなが、実は草書から生まれたものだと知ると、草書がぐっと身近に感じられるのではないでしょうか。

    平安時代の藤原佐理(ふじわらのすけまさ)は草書の達人として「三跡」の一人に数えられ、日本の書道史に大きな足跡を残しました。日本書道の歴史について詳しくは「日本書道の歴史を時代ごとに解説」をご覧ください。

    草書の書き方——5つのコツ

    草書はルールを知らずに雰囲気で書くと誤字になります。逆に、コツを押さえれば上達は早い。ここでは、私が教室で生徒さんに伝えている5つのポイントを紹介します。

    コツ1:まず楷書の形を頭に入れてから崩す

    草書を書く前に、その字の楷書を思い浮かべてください。楷書の構造がわかっていれば、「どの画が省略されているのか」「どこが連続しているのか」が見えてきます。

    教室では、新しい草書の字を練習するとき、必ず先に楷書で3回書いてから草書に取りかかるようにしています。遠回りに見えますが、結果的にこのほうが覚えが早いです。

    コツ2:連続線は細く、本来の画は太く

    草書では画と画をつなぐ「連続線」が現れます。この連続線は、本来は存在しない線です。だから細く書く。本来の画は太く書く。この太細のメリハリが、読みやすく美しい草書の鍵です。

    連続線を太く書いてしまうと、どこが本来の画でどこがつなぎなのか区別がつかなくなり、別の字に見えたり、読めない字になってしまいます。

    コツ3:筆順の違いを意識する

    草書の筆順は楷書と異なることが多いです。その理由は、草書が楷書より前の隷書の時代に成立したためです。隷書の筆順をベースにしつつ、早書きに便利なように接近した画を連続して書くことで、楷書ともまた違う独自の筆順が定着しました。

    「楷書の筆順で草書を書こうとする」のはよくある間違いです。草書の字典を見るときは、筆順もセットで確認する習慣をつけましょう。

    コツ4:部首の省略パターンを覚える

    漢字は多くの場合、偏と旁、冠と脚など複数の部首の組み合わせでできています。草書には、部首ごとに共通した省略パターンがあります。

    たとえば「さんずい」の草書は、どの字でもほぼ同じ形に崩されます。このパターンを覚えれば、新しい字でも「さんずい+旁の草書」で推測できるようになります。一字一字バラバラに覚えるより、はるかに効率的です。

    ただし注意点もあります。同じ部首でも、組み合わせる相手によって省略の仕方が変わることがあります。「偏と旁」のセットで覚えることを意識してください。

    コツ5:迷わず一気に書く(筆勢が命)

    草書で最も大切なのは筆勢——筆の勢いです。途中で止まったり、迷ったりすると、線が死にます。

    私がいつも生徒さんに言うのは「頭で考えてから筆を持って、筆を持ったら考えずに書く」ということ。字の形を頭に入れたら、あとは一気に書き切る。失敗してもいい。止まるよりずっといい。勢いのある失敗からは学べますが、おそるおそる書いた線からは何も生まれません。

    草書の覚え方——効率的な3ステップ

    草書は覚える字の数が多く、挫折しやすい書体です。効率よく覚えるための3ステップを紹介します。

    ステップ1:覚えやすい部首から始める

    草書のなかには、ほとんど省略がなく、楷書との違いが小さいものがあります。こうした部首は直感的に理解できるので、まずここから入りましょう。

    連続と簡略化だけで成り立つ形を先に身につけると、草書の「崩し方の感覚」が体に入ります。いきなり複雑な字に挑戦するより、成功体験を積み重ねるほうが長続きします。

    ステップ2:偏と旁の組み合わせパターンを理解する

    漢字は単独の部首だけの字は少なく、「偏と旁」「冠と脚」「内と外」など複数の要素を組み合わせています。草書には、この組み合わせごとに共通した省略法があります。

    部首の省略形を個別に覚えるのではなく、「この偏とこの旁が組み合わさるとこう変化する」という法則を意識すると、応用力がつきます。ここが草書の覚え方で最も差がつくポイントです。

    ステップ3:丸ごと暗記が必要な字は古典で身につける

    草書のなかには、楷書の形とあまりにもかけ離れていて、法則では説明しきれない字があります。これは草書が隷書の時代に成立した名残で、楷書と隷書で形がまったく異なることが原因です。

    こうした字は、一字一字を丸ごと覚えるしかありません。最も効果的な方法は、古典の臨書(りんしょ)を通じて体で覚えることです。次のセクションで、臨書におすすめの古典を紹介します。

    草書の臨書におすすめの古典3選

    草書を学ぶなら、優れた古典の臨書が最善の方法です。教室でも推薦している3つの名品を紹介します。

    王羲之『十七帖』——草書の王道

    王羲之が友人の益州刺史・周撫に送った手紙29通をまとめた草書の名品です。4世紀の作品ですが、草書学習の最高の教科書として今も使われ続けています。

    十七帖の草書は端正で読みやすく、崩し方にも節度があります。草書の基本を学ぶには最適の一冊です。ただし、やや淡々とした印象で、感情の起伏は控えめ。技術を固めるための教材と考えるとよいでしょう。

    孫過庭『書譜』——理論と実践の融合

    687年に孫過庭が著した書論で、草書で書かれた草書論という唯一無二の作品です。書道の原理を論じながら、その文章自体が最高の草書作品になっています。

    書譜の線は変化に富み、速度の緩急が豊か。十七帖で基礎を固めた後に取り組むと、草書の表現の幅が格段に広がります。中級者以上に強くおすすめします。

    智永『真草千字文』——初心者に最適

    智永(ちえい)は王羲之の7世の孫にあたる僧侶で、6世紀に活躍しました。『真草千字文』は、千字文の各字を楷書(真書)と草書で並べて書いた作品です。

    楷書と草書が横に並んでいるので、「この楷書がこの草書になるのか」と一目で対応がわかります。草書をゼロから学び始める方にとって、これほど親切な教材はありません。私の教室でも、草書の入門として最初に手に取ってもらう古典です。

    よくある質問(FAQ)

    草書と行書の違いは?

    行書は楷書を少し崩した書体で、読みやすさを保ちながら速く書けます。草書は極限まで省略した書体で、学ばないと読むことができません。省略の度合いが行書と草書の最大の違いです。行書は日常の手書きに使えますが、草書は主に芸術作品で使われます。

    草書は独学で覚えられる?

    草書字典と古典のテキストがあれば、独学でも基本的な字形は覚えられます。ただし、筆の運び方やリズム、速度の感覚は、手本を見るだけでは身につきにくいのが正直なところです。可能であれば、書道教室で先生の筆の動きを直接見ることをおすすめします。SHODO FAMのオンライン書道教室でも、画面越しに運筆のリズムを学べる草書レッスンを行っています。

    草書の練習に最適な筆は?

    草書には柔らかい筆が向いています。羊毛筆(ようもうひつ)や兼毛筆(けんもうひつ)がおすすめです。草書は旋回運動が多いため、筆に弾力と柔軟性が求められます。硬い筆(狼毫)だと曲線の表現が固くなりがちです。まずは兼毛筆から始めて、慣れてきたら羊毛筆に挑戦してみてください。

    まとめ

    草書は2000年以上の歴史をもつ、最も自由で芸術的な書体です。隷書の早書きから生まれ、王羲之によって芸術に昇華され、日本ではひらがなの母体にもなりました。

    書き方のコツは5つ。楷書を頭に入れてから崩す、連続線は細く、筆順の違いを意識する、部首のパターンを覚える、そして迷わず一気に書く。覚え方は、覚えやすい部首→組み合わせパターン→古典の臨書の3ステップです。

    草書の名人たちの筆跡を見ると、紛らわしい形もきちんと区別して書かれています。最初は細かい違いがわからなくても、古典に触れ続けるうちに、だんだんその違いが見えてきます。焦らず、筆を楽しみながら取り組んでみてください。草書を基礎から学びたい方は、SHODO FAMのオンライン書道教室もぜひご覧ください。